悔しい思いを幾らしようが下手くそは下手くそ。凡骨は凡骨。
今回の舞台は悔しい想いをした。とか
自分が下手くそだから悔しい。とか
だから何?だ
みんな下手くそ。上を目指してる限り、ずっと下手。
自分が下手で悔しい思いをしたならば、今からでも、明日からでも上手くなろうとする行動を怠ったら、何の意味もない。「悔しい」と言えば上手くなるとでも思っているのか。そういつも自分に言い聞かせる。
悔しい、と言っていた舞台が終わって、お疲れ様のご褒美を買うとかダサい。上手くなるための本を買え。環境を買え。
舞台では食えない、稼げないとか言って、高くてお洒落なレストランで悠々な時間を過ごすとかダサい。今、自分が稼げる金で目一杯の店に行け。
悔しいなら家に帰って直ぐにでも台本読め、直ぐにでも書け、この甘ったれが、と自分に言い聞かす。
ちょっと仕事しただけで、「ああ、仕事した私」なんて思うな。仕事、をしたかったのか? お金が欲しかったのか? 「こんな仕事して私すごいでしょ?」と思われたかったのか、違う。私はただ、上手くなりたい。上手く書けるようになりたい。演出が上手くなりたい。
悔しい、をアクセサリーにするな。悔しい思いをしている自分や、状況に酔うな。ダサいと思え。悔しいってことは今現在の仕事に実力が伴ってないってことなんだから。あくまで自分の物差しで、自分の実力が足りてないって思うんだったら、上手くなるために動かないといけない。本のページを捲れ、書けなくてもいいから書け。
悔しい悔しいと言っていれば、何だか、それだけで頑張ってる気がするけど、それは脳の勘違いだ。自分の実力が上がってなければ、口と肺が「悔しい」と声を出す為のカロリーを消費しただけ。
やり方が、わからない?
上手くなり方がわからない?
そんなのはやってから考えればいい。そのうち効率も良くなる。
本を読む、書く、調べる、経験を積む、は今からでも明日からでもできる。
それで本当に動けないくらい疲れたら眠ればいい。休めばいい。
私の体はまだ動く。私の指はまだまだ動く。
私はまだまだ。
まだまだ書ける。
一度、数ヶ月、私は休んだことがある。何も書こうとしなかった。
辛かった。
苦しみながら書いてる頃より、書かない時期の方が辛かった。
書かないより、書いている方がマシ。そう知れた。
数ヶ月休んだのには理由があるけれど、それはここでは語らない。
演劇、というか、この世界を辞めて、離れようとさえ思った。
バイトの面接も行った。受かったけど、行かなかった。
いや、行けなかった。やりたいと思えないことには体が動かない。
それも知れた。
もう、この世界に生きると決めたなら
努力を怠るな。
直ぐにサボろうとするんだから。それも知ってる。
下手なのが悔しい。なら、書け、動け、勉強しろ。
こんな乱雑で、殴り書きの文章を読んで気分を害してしまったらすみません。
今、そんなことを改めて思える舞台を作ってるんです。
今の自分の実力が、おごりが、恥ずかしくなるような
今の私に刺さります。
きっと根詰めずに、休んで、睡眠をしっかりとって、健康的にいい仕事をしようとすることも大切だけど
もう一度、限界まで努力してみる時期を過ごしてみようと思えた。
演出しながら、二十代の頃に書いた本に奮い立たされた。
若者のエネルギーに感化されたのだろう。
若手×えのもとぐりむ「嘘つき歌姫」ご興味あれば、来週2月27日より幕が上がります。
私の自戒。
また、動けなくなるまで動いてみたくなる、胸が熱くなる作品。
私だけかもしれないけれど。