嫌いな人から学んだこと「山根あきらさんの企画に参加」
📖山根あきらさんの企画、「嫌いな人から学んだこと」に参加します
以前、40歳という若さで、癌で亡くなった女性の不思議な話の記事を書いたことがあるが、その人に関係する話。
その友人は、転移を繰り返し、何年もの間手術や放射線治療をしていたのだが、ある日の昼、彼女本人と家族の意思で注射を打った。
痛みを取り去って、眠ったまま死を迎えるということらしい。
安楽死とは違うと聞いた(このあたり、医学的によく理解できていないので、間違ったことを書いていたら申し訳ありません)。
その夜、彼女の母親から電話があり、深夜、病院に駆けつけた。
この時、とてもひとりで行く自信がなかったので、共通の知人女性、B子に一緒に行ってもらった。
彼女は、モルヒネも効かない壮絶な痛みから解放され、穏やかに眠っていた。
注射をしてから、早い人だと数日で眠るように息を引き取ると聞いたが、
彼女の心臓は強いらしく、3日目も母親からの連絡はなかった。
その日、一緒に行ったB子からメールが来た。
そのメールを見て、愕然とした。
「まだなの?? 引っ張るなぁ!!」
これ、どういう意味?
あなた、彼女とさほど親密ではないけど何度も一緒にランチ行ったりした仲よね?
なぜそんな言い方ができるの?
まだ? 引っ張るって?
つまり、なぜまだ亡くならないのかということ?
私の読解力不足?
いや、他にどんな解釈ができるのだろう。
このB子、実はみんなから嫌われていた。
ずけずけものを言い、周りを自分に従わせようとするタイプ。
それでもみんな、あからさまに嫌うことはせず、我慢してつきあっていたようだ。
私とはなぜか相性がよく、けっこう仲良くしていたのだが。
しかし、数年来の親しみもこのメールで失せた。
私のことを非難されたり、文句を言われるのは我慢できる。
だが、もうじきこの世から消えていく友だちに対して、このメールは
もうどう努力しても無理だと思った。
あまりにも不謹慎すぎる・・・。
こうして、B子は、「嫌いな人」となる。
いや、嫌いとは違うかもしれない。
顔を見るのも話すのも、いやになっただけである。
それからしばらくは(我慢して)普通につきあったが、だんだん疎遠になるよう、意識して仕向けていった。
それを感じたB子は、
「あんた、私のこと切るんだね?」とすごんだ。
社会的に、嫌いでも無理でも、我慢してつきあわなければならない人は誰にでもいると思う。
でも、彼女のメールは、今思い返してもとてもいやな気持ちになるし、彼女を「切った」ことを後悔はしていない。
もし当時、B子に対し、メールの真意を聞いたらどう答えただろう。
恐らく、
「そんなつもりで言ったんじゃないよ」。
こう答えたと思うが、そんなつもりもこんなつもりも、相手に誤解されるようなことを、しかも死にゆく人に関することで言ってはならないと思う。
もう無理、絶対無理、と思ったら、迷わず遠慮なく「切れ」。
これが、彼女から学んだ人生の処世術だと思う。