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見知った場所の路地裏で・・・(秋葉原通り魔事件)

6月8日はX68000を語る愛でたい日・・・だけではありませんでした。

同日は悲劇が降り注いだ日でもあります。

秋葉原通り魔事件(秋葉原無差別殺傷事件)


何年も前から書いては消しと文章化に取り組んではいたのですが、やはり楽しい話題ではないので進みも遅く・・・気がつけば今年も当日が過ぎ去った後でした。

そんな状況で迎えた6月16日は父の日でした。個人的に複雑な思いが交差してメンタルが極端に弱る日なのですが、栄養補給にフォロワーさんの呟き(他人の父の日にはほっこり出来る)で栄養補給しようとすると・・・出会い頭の特級呪物に刎ねられてしまいます。

インプレッション稼ぎに協力したくないので引用等もしなかったのですが、秋葉原で亡くなった方を偲ぶお供え物を見て「無料ドリンクバー」と揶揄するツイートが視界に飛び込んできたわけです。

そして何より驚いたのはイイネの数ですよ・・・イイネは好意的な反応以外に使われるとはいえ、ちょっと信じられない量でした。

投稿者本人はバズった事で宣伝迄していた様でその醜悪さを素直に嫌悪しました。

確かにお供え物というのは後片付け迄考えないといけないので「飲み物を持ち帰ろう」という話から料金を払うわけではないので無料ドリンクバーに至る思考は理解は出来るわけです。

でもまぁ、それを言っては人としておしまいだろうとも思いますが。

当時を知らないからやれる事という話もわかりますが、戦争やら事故やらの多くは私の様なおじさんにとっても生まれる前の出来事だったりする訳でなんだかなぁと。(発言者が小学生ならまぁ分かる。)

たとえ知らないでやったとしても、後に指摘されてからの反応が変わらない時点でもう当人達はわかってやっているのだと思います。

以前無知について少しばかり触れたのですが、知らない事は罪ではなく知ってからの行動こそ罪なのだなとより強く思いました。

善悪的な話を差し引いても一時的な稼ぎの後にそっぽ向かれる様になるアカウント運営は短慮なのではと思いつつも・・・世のマスメディアを眺めるとそういう需要だけでやっていけるのかも知れませんね。

好ましいとは全く思いませんが、視点を変えるとそんな需要が単一思考的な強権で抑圧されない点だけは良いことなのかも知れません。

いや、個人的にはその需要自体を全く好ましいとは思っていませんけどね。


<個人的なこと>

2008年6月8日の事件当日は秋葉原にいました。

いや、正確には秋葉原にいる予定でしたね。

東京に住んでいた私にとって秋葉原は癒しの街でした。仕事が過酷すぎて心身が摩耗しても秋葉原だけには通うという感じ。

思い返せば東京生活は悲しくなる程関東圏にいたメリットも感じず、また趣味とも言える写真の撮り歩きすらあまり出来てなかったりと。

下手をすると出歩くのは友人がわざわざ様子見に来てくれた時位だったかも知れないです・・・とても忙しかったのですね。

それでも秋葉原にだけは通いました。別にあれこれ買い物して散財しているわけでは無いのですよ。それ以前に稼ぎの殆どを仕送ってたのでその辺の〇学生と懐具合は変わりません。

それでも秋葉原周辺を回るとごった煮というかカオス的な文化に触れることが出来て、ただ街の空気を吸うだけで十分楽しかったのですよね。

思い返せば疲労が溜まるとかなりの出不精となる私がサザエさんの日(日曜とか)に良く出向いたよなと思います。

時代的には電子部品にPCとアニメや漫画等の電気街とオタク街が混ざり合った時期ではないかな?(個人的な体感です)



<後で気づいてぞっとする>

通っていた事とは別として事件日前後は友人から部品の買い出しを頼まれていた時期でした。

加えて犯人が捕まったのもその目的の買い物エリアの真っ只中だったのは当時テレビのスナップショットを観てとてもびっくりしましたよ。

その様な経緯から当日もし現地で刺されでもしたら友人に一生消えない傷を残したかもしれないわけです。



<何故身近に感じるのか?>

私は現地にいなかったので実際のところ当事者では無いのですが、それでも別の世界線ではそこにいたかも知れないということで他人事とは思えないわけです。

無料ドリンクバーの話も普段なら嫌悪感はあってもここまで噛み付くことはなかったと思います。TLを汚したくないというか、負の気分を共有したくはありませんしね。

マイナス感情を垂れ流すのは自己の制御が決壊しそうな時なのですが、その意味では他人事に思えない事件を足蹴にされてあっさり沸点を超えたのでしょうね(;´Д`)


目眩に吐き気、手の痺れ・・・冒頭に話した通りメンタルが弱っていたとしても想像以上のダメージが来てました。

たぶん私の中で当日その場にいなかった罪悪感みたいなものがあるのですよね。

いや、専門知識もなく特殊な訓練を受けた訳でもない自分がいたところで何も出来ないし、寧ろ邪魔である事は他人に指摘される前から痛い程理解しているのですが・・・

何か些細な事でも成せたかも知れない、邪魔になっていたかも知れない、あっさりと死んでいたかもしれない。

それでも罪悪感や何が出来たかを思考してしまう程に秋葉原という街は当時の私にしてとても大切な存在に育っていたのだと思います。



<事件の後>

何度か献花台に向かうもなかなか近寄る事は出来なかった事を覚えています。

どうにも隠れて撮影している報道陣のカメラの被写体になるのが嫌だったのです。

別のその時のカメラマンが過去に私が嫌悪した報道スタッフの様な行動をとっていたわけでは無いのですけど、なんというか「いい絵の題材」にはなりたくなかったのです。

冷静に考えればくたびれたおっさんリーマンが手を合わせる姿なんて絵にもならないから気にしないで良かったのかも知れません(゚д゚)



<偶然たる偶然>

従兄弟はオウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件を紙一重で回避したのですが、私とっても秋葉原通り魔事件は同じ様に偶然が重なることで回避できた人災でした。

この手の危機回避の話は常々予言や行動指針の話に紐付けられがちなのですが、予兆的な情報を知らない限りはあくまで偶然の産物でしかないと思っています。

前にも書きましたがこの様な不幸を回避できたことに「徳とか善行」を紐付けたとすれば亡くなった方々は何なん?という話になると思うのです。

片や予言なら信じてもらえない形に「事前に出来る事があるだろ?」という話でもあるわけで。

事件が起きてからの世相の変化や秋葉原という街の移り変わり。容疑者と被害者、それを取り囲む人達についてと考えはあれこれ巡るも外野でいた私でさえ年月をかけてもなかなか言葉にするのは難しいのですが・・・当日あの場にいなかったからこそ思考を巡らせ、文章化しようと思えるのかなとも考えてしまいます。



<次のお話>

<前のお話>

<どくのぬまちをあるくのにそんなそうびでだいじょうぶか>
私のマガジンの中で唯一笑えない話や真面目な話を纏めています。 まぁフィクションですし(゚∀゚) シカタナイ


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