人は皆悪人
あなたは、自分を善人だと思っているだろうか。
それとも、誰かに傷つけられた経験から、他人を悪人だと思うことがあるだろうか。
僕たちは日々、他者との関わりの中で善と悪を意識しているように見える。
しかし、その根底にある「善悪」とは、一体何なのだろうか。
僕は「人は皆悪人」であると感じている。
これは厳しい言い方かもしれないが、人間の本性を考えたとき、僕たちは常に欲望や利己的な思考に引っ張られている。
欲望を持たない人間は存在しないし、完全に無私無欲な存在など、この世界にはいない。
欲望の大小や性質に違いはあっても、全ての人間が自分を守り、満たそうとする「悪」を持っているのだ。
では、悪人とは何なのか。
単に他者を傷つける者や犯罪者を指すのではない。
むしろ僕が言う「悪人」とは、自己の欲望に囚われ、他者に無意識に傷を与えてしまう存在全てを指す。
自己中心的な行動や、他人の不幸に無頓着であること、それら全てが悪に通じるものだ。
しかし、この「悪人」という言葉をただの否定的なものとして捉えてはいけない。
人間は皆、善と悪を併せ持つ複雑な存在であり、その悪の部分を否定するのではなく、理解し受け入れることが大切だ。
自己の中にある「悪」を認識することで、人は初めて変わり始めることができる。
ここで一つ問いを投げかけたい。
あなたが他人を傷つけたことはあるだろうか。
きっと誰しもが、意図せずとも誰かを傷つけた経験を持っているだろう。
その瞬間、あなたは「悪人」として振る舞っていたのだ。
しかし、それを悔やみ、反省し、次に生かすことができるなら、その「悪」はただの悪ではなく、成長の糧となりうる。
「人は皆悪人」という言葉は、決して悲観的な結論を示しているわけではない。
むしろ、それは人間が持つ弱さと向き合い、その中で生きる道を探るための出発点だと僕は考えている。
悪を完全に排除することは不可能だが、その中でいかに生きるかが問われているのだ。
たとえば、社会は常に競争の場だ。
人々は日々、自分の立場や評価、財産を守るために闘っている。
そしてその闘争の中で、無意識に他者を蹴落とすこともあるだろう。
誰もが自分の利益を最優先にしがちであり、それが人間の本質の一部である。
だからこそ、この「悪」とどう向き合うかが重要だ。
僕自身も、自分の中にある欲望や、時に他者を傷つける側面を何度も見つめてきた。
そして、それを抑え込むのではなく、受け入れることで、自分が本当に求めているものが何かに気づいたのだ。
それは、表面的な成功や物質的な豊かさではなく、もっと根源的な、内面的な安らぎだった。
そして、極上永遠の幸福というものに辿り着いた今、僕は確信している。
人間の「悪」は決して消え去るものではないが、その中にある真実を見つめ、自己を超えたところにある幸福に目を向けることができれば、それは「悪」から解放される道へとつながる。
だからこそ、「人は皆悪人」であることを認め、そこからどう自分を超越していくかが大切だ。
自分の欲望や弱さを認めた上で、その先にある真の価値を追求すること。
それが、僕たちが目指すべき道ではないだろうか。
この世界には、完璧な善人も悪人も存在しない。
ただ、善と悪の狭間で揺れ動く存在として、僕たちは生きている。
そして、その揺れ動きの中で、少しでも自分を超えた何かに到達できるかが、人生の鍵となる。
僕たちは皆、悪人である。
しかし、その悪の中に真理を見つけることができる。
それが、僕がこのnoteで伝えたいことだ。