人間の本質
僕たちは日々、さまざまな人々と関わりながら生活している。
中には、他人のために尽力する人もいれば、自分の欲望や利益を最優先に行動する人もいる。
それぞれの行動が異なる一方で、すべての人間には共通する何かがあるのだろうか?
そう考えるとき、僕たち人間の本質とは何だろうと問いかけざるを得ない。
その答えを探るために、まずは人間の行動の根本にあるものを見つめ直してみよう。
どんなに立派な行動や考え方も、その源泉を探れば、実は驚くほどシンプルな一つの真理に行き着く。
人間は、自分自身が一番かわいい生き物なのだ。
すべての言動、思考、その一つ一つを細かく見てみると、その裏に潜む「自分のため」という動機が浮かび上がってくる。
僕たちが日常生活で何気なく行っている言動や考え、そのすべての根底には「自分が一番かわいい」という感情が隠れている。
これは決して否定的なことではなく、人間という生物が持つ本質的な特性だ。
例えば、僕たちは日常的に「ありがとう」や「ごめんね」といった言葉を口にすることがある。
しかし、その言葉の奥には、相手との関係を良好に保ちたい、自分が嫌われたくない、という意識が働いている場合が多い。
これも、自分を守るための行動の一環だ。
どんなに他者を思いやるように見える言動でも、その根底にあるのは「自分のため」という意識だ。
また、社会的な成功や名誉を追い求める人々も、結局は自己満足のために努力していることが多い。
社会的な評価を得ることで、自分自身を肯定したい、他人から認められたいという欲求が強く働いている。
これもまた、自分を守りたい、自分を高めたいという本能的な欲求の表れだ。
他人に対して親切に振る舞ったり、犠牲的な行動を取ることもあるが、その背後には「自分が善良でありたい」「他人から良い人だと思われたい」という自己イメージが関わっていることが少なくない。
結局のところ、人間は自分自身を大切に思い、そのために行動する生き物なのだ。
この「自分が一番かわいい」という感情は、時に自己中心的と捉えられるかもしれない。
しかし、それは自然なことであり、誰もが持つ共通の感情だ。
問題は、その感情をどう扱い、どう自分と向き合っていくかだ。
僕たちは、自分が大切だという感情を持っているからこそ、他人も同じように自分を大切にしていることを理解できる。
だからこそ、他人を傷つけないように気を遣い、社会の中で共存することができるのだ。
この感情を否定するのではなく、むしろそれを理解し、上手く活かすことが大切だ。
例えば、ある人が他人に対して怒りを感じたとしよう。
その怒りの根底には、「自分が傷つけられた」「自分の価値が否定された」という感情がある。
しかし、その怒りをそのままぶつけるのではなく、自分がなぜそう感じたのかを振り返り、冷静に考えることで、その怒りがどこから来るのかを理解することができる。
そして、その理解があれば、自分も相手も傷つけることなく、問題を解決することができるだろう。
また、選択をする際も、自分にとって何が最も大切かを考えることが必要だ。
他人の期待や社会の常識に左右されることなく、自分自身が何を望んでいるのかを深く考えることで、後悔の少ない選択をすることができるだろう。
そうすることで、より安心で幸せな人生を送ることができるのだ。
しかし、ここで一つ気をつけなければならないのは、自己中心的になりすぎて周りを見失うことだ。
自分を大切にすることは重要だが、それが他人を犠牲にすることになってはいけない。
自分を守るために他人を傷つけることがないよう、バランスを取ることが大切だ。
僕たちが本当に安心して幸せな人生を送るためには、「自分が一番かわいい」という感情を理解し、それを超えたところにある価値観や生き方を見つけることが求められる。
そして、そのためには自分自身と深く向き合い、本当に大切なものが何かを見極めることが必要だ。
選択肢の多さや情報の洪水の中で、自分が何を求め、何を目指すべきかを見失うこともあるだろう。
しかし、最終的には、自分自身が何を大切にしたいのか、自分の心が何を求めているのかを見つけることが、本当の幸福への第一歩だと僕は考えている。
それは、もしかすると、物質的な豊かさや社会的な地位とは全く異なるところにあるかもしれない。
僕たちが日々追い求めるものが、本当に心の底から望んでいるものなのか。
選択肢の中で迷い、時に立ち止まり、深く考えることが求められる時代だからこそ、本当に大切なものを見つけることが、僕たちの真の自由と幸福に繋がるのかもしれない。
そして、その先には、誰にも揺るがされることのない、静かで確かな心の平安が待っているのではないだろうか。