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戦国武将に学ぶ!No.18~石田三成②~
”軍師” こと、株式会社GUNSHIコーポレーションの社本です。
このnoteでは経営者の軍師としての目線で、
これからの時代を生き抜く戦略を発信しています。
私は日ごろより周りの方々から
”軍師” というニックネームで、
お呼びいただいています!(笑)
社名であることもその理由ですが、
私は自他共に認める歴史好き!
とくに戦国時代が好きです。
今回は、私が好きで見習っている、
学んでいる武将や軍師を紹介するシリーズ。
ぜひ最後まで楽しんでいただけたら幸いです。
■歴史は勝者が書く。それ故に…
今回は、石田三成をピックアップします!
一年ほど前に一度書いていますので、
今回は part2 です!
石田三成の一般的な人物像といえば…
コミュニケーションが苦手で人望が薄い、
他人を陥れる…のように、
ネガティブなイメージを持たれているように
思います。
石田三成は、関ケ原の戦いで
敗戦していますよね。
歴史は勝者が書く、歴史は勝者の歴史である、
というような言葉がありますが、
関ケ原以降、260年続いた江戸幕府ですから、
どうしても勝者である徳川家康に有利な書き方を
している書物が残ってしまうのは、
ある意味当然のことのように思います。
石田三成について残っているものが
少ない、見つからないのは
仕方のないことと思いますし、
そうやって歴史がつくられてきたのかと
思うと、それはそれでおもしろいなと
私は思っています。
しかし、最近では三成のイメージが
変わってきたように感じています。
それはドラマなどにおいて、
“忠義を貫いた男” のような描かれ方を
されるようになったからかなと思います。
私自身は、石田三成はとてもすごい人物
だったのではないかと妄想していて(笑)、
徳川家康も好きですが、
石田三成も大好きな武将の一人です。
諸説ありますが、
石田三成は関ケ原の戦いで、
7万から8万、もしくは10万人の
仲間を集めたと言われています。
よくよく考えてもらいたいのですが、
世間から揶揄されるほど人望のない
人物だったとしたら、それだけの人数を
集められたはずがないと思うのです…!
結果的に裏切られたとしても、
それだけの仲間を集められるというのは、
やはり並大抵の武将ではなかったことの
裏付けではないかと思います。
そんな三成の人望を語る上で
外せない人物がいます。
渡辺勘兵衛という人物です。
■歴史をどこから見るか
渡辺勘兵衛はとても有能で、
羽柴秀吉(=のちの豊臣秀吉)、
柴田勝家という、戦国時代に名を馳せた
素晴らしい武将たちから、
『2万石与えるからうちに来てくれ』
と言われても、
『俺は10万石でないと従わない』
と言って、誘いを断っていました。
しかしそこに、
500石しか持っていない石田三成が、
家臣になってくれないかと持ち掛けます。
『500石しか持ってないじゃないか!』
と当然のごとく言われるわけですが、
あろうことか三成は、
『500石を全て譲る。だから家臣になってくれ』
と、全財産を譲ると申し出たのです。
考えられない申し出です(笑)
しかしこれが功を奏したようで、
渡辺勘兵衛には
『なんて面白い人なんだ!』と
現代風に書くとウケたようで(笑)、
石田三成の家臣になりました。
この件を三成は、『渡部官兵衛を
家臣として迎えたものの、
500石(全財産)を与えてしまったので、
これからは渡辺勘兵衛の所領(土地)で
暮らします』と言って秀吉を爆笑させた、
という逸話も残っています。
この逸話から私は、
三成はとても人間味あふれる、
ユーモアのある人だったのではないか
と思っています。
この渡辺勘兵衛、関ケ原の戦いでも
共に戦いました。
もう負けてしまうとわかったとき、
傷を負った渡辺勘兵衛は、
戦場の中、三成に会いに行きます。
最期に会った三成は、
渡辺勘兵衛に謝罪しました。
それは、最初に500石を差し出したとき、
『私はそのうち100万石の大名になる。
だからその時には10万石を与える』と
約束をしていたからでした。
約束を果たせなかったことを
謝罪した三成に渡辺勘兵衛は、
『私はあなたに仕えることができて
本当に良かった。本当にありがとう。
そのことを伝えたくて来たのだ』
そう伝え、自害したのです。
歴史というのは、
どの角度から見るかによって、
本当に変わってしまうものです。
この渡辺勘兵衛とのエピソードからも
わかるように、三成は本当は人望があって、
人に好かれる人物だったと思えてなりません。
私は徳川家康も好きですが、
歴史を違う角度から見ることでわかる
石田三成の人物像を、今後ももっと知りたい!
歴史から学ぶことは、本当にたくさんあります。
そんなことを、読んでくださっている皆さんと、
これからも共有していけたらと思います!
石田三成①もぜひ!