戦国武将に学ぶ!No.22~徳川家康②~
”軍師” こと、株式会社GUNSHIコーポレーションの社本です。
このnoteでは経営者の軍師としての目線で、
これからの時代を生き抜く戦略を発信しています。
私は日ごろより周りの方々から
”軍師” というニックネームで、
お呼びいただいています!(笑)
社名であることもその理由ですが、
私は自他共に認める歴史好き!
とくに戦国時代が好きです。
今回は、私が好きで見習っている、
学んでいる武将や軍師を紹介するシリーズ。
ぜひ最後まで楽しんでいただけたら幸いです。
■人材マネジメントの天才
今回は、徳川家康の第二弾です!
大河ドラマ【どうする家康】も
来年スタートしますし、
家康についてはたくさんの
エピソードがあるので、
ぜひとも語っていきたい!!(笑)
私は仕事柄、組織、チームづくりに
携わることが多いので、ついつい
人材育成や人材登用といった
いわゆる人材マネジメントの視点で
歴史上の人物を見てしまいます。
家康は、この人材マネジメントが
極めて優れていました。
260年も続く江戸幕府をつくれたのは、
優れた人材育成や登用ができたことも、
大きな要因の一つと考えられます。
それは言い換えれば、
人材を掌握する能力が長けていた、
ということだと思います。
徳川家康①の記事にも書きましたが、
家康は不遇の幼少時代を過ごしたからこそ、
人を大切にすることを学んだといえます。
そのおかげで家臣たちの “心” に
フォーカスできたのであり、
家臣たちを掌握し、その才能を
引き出すためにしっかりと
家臣たちの話を聴いた人だった。
私はそんなふうに考えています。
■人材マネジメントは家康の名言に学べ
人は負けることを知りて、人より勝れり
これは家康が遺した言葉です。
負けることを知ることで、
逆境になったとき乗り超えることができる…
つまり、負けることや失敗が人を強くし、
成功していけることを示唆しています。
実際に家康はこの言葉を
大切にしていました。
それは、家康の行動にも
表れています。
織田信長、豊臣秀吉の時代に
力を持っていた今川家、武田家、
北条家は、戦いの末に衰退し、
やがて滅びてしまいます。
このように滅びてしまった国に
使えていた家臣たち(=遺臣)を、
家康は徳川家に積極的に迎え入れました。
戦って負けを知った者の強さを
家康は知っていたため、
強い組織を作るためには遺臣たちの力が
必要だと考えたのでしょう。
この考えに基づいて家臣団をつくり
仕事を任せていった家康は、
こんな言葉も遺しています。
人には其長所のあれば、 己が心を捨て、 たゞ人の長所をとれ
現代語に訳すと、
人が持つそれぞれの長所は、
個人的な見方を捨てて、
ただその人の長所として見極めなさい、
という意味になります。
己が心=個人的な見方というのは、
好き嫌いや固定概念、偏見など、
個人の偏った主観のことです。
適材適所に人員を配置するために
個人的な感情や好き嫌いなどに
任せず、一人ひとりの長所を見極める。
これを意識して取り組んだからこそ、
260年続く江戸幕府の礎を築けたのでは
ないでしょうか。
そのためには家臣たちの話をよく聴き、
またよく見ていないとできません。
さらっと書いていますが…
260年ですよ?(笑)
その礎を築いた人物なのですから、
やはりあらゆる意味で家康は
天才だったのだと思います。
家臣団には、昔から徳川家に
仕えている大名たち(=譜代大名)と、
関ケ原の戦い前後に徳川家に
仕えることになった大名たち(=外様大名)
がいますが、そのどちらもバランス良く
調整し、登用していったのも特徴的です。
組織を強固にするために、
時には大名たちに競合させ、
ある時には協調させる。
そうやってあらゆる人材マネジメントを
行い、組織を強くしていきました。
このように、人材マネジメントという
意味でも、家康の遺した言葉からは
学べることがたくさんあります。
本当に家康のことは一度や二度では
語り切れないので(笑)、今後も
お伝えてしていきたいと思います。
魅力溢れる徳川家康ですが、
【どうする家康】でどんなふうに
描かれるのか…
史実と照らし合わせて
ドラマを観ていくと
とても勉強になりますし、
何倍も楽しめると思います。
来年と言わず…
明日からでも放送しないかなあ…(切実)