戦国武将に学ぶ!No.33~加藤清正①~
”軍師” こと、株式会社GUNSHIコーポレーションの社本です。
このnoteでは経営者の軍師としての目線で、
これからの時代を生き抜く戦略を発信しています。
私は日ごろより周りの方々から
”軍師” というニックネームで、
お呼びいただいています!(笑)
社名であることもその理由ですが、
私は自他共に認める歴史好き!
とくに戦国時代が好きです。
今回は、私が好きで見習っている、
学んでいる武将や軍師を紹介するシリーズ。
ぜひ最後まで楽しんでいただけたら幸いです。
■戦だけではない!戦国武将の仕事
今回は、加藤清正を
ピックアップしました!
実はこの清正、秀吉の家臣であり
名古屋城には像があります。
私はわざわざ、この像を見るために
この道を通ることもあるくらいです(笑)。
さて、清正は秀吉の家臣だったと
お伝えしましたが、
肥後(現在の熊本県)を任されるほど
優秀な武将でした。
熊本城築城で有名でもありますが、
秀吉亡き後も名古屋城築城に
関わったことから
その功績は後世にも伝えられ、
戦国時代を語る上で欠かせない
武将の一人となっています。
ところで、
「戦国武将」というワードに
どんなイメージをお持ちでしょうか?
甲冑を着て馬に乗り、大軍を引き連れて
戦に勝つことで領土増やしていく
イメージが強いのではないでしょうか。
実際はというと、もちろん戦に出ることも
あったわけですが、戦国武将たちが
やっていたことはズバリ国づくり。
現代風に表現すると、
マネジメントに近いです。
土木や農業などの産業に取り組み、
あらゆる政策を考え、
一国を任された武将たちは
国を豊かにするためにマネジメントを
していたのです。
さまざまなタイプの武将がいますが、
国づくりが上手くいっていた武将ほど、
どんな時も民衆たちの模範であろうと
努めていたと思います。
清正は、戦だけでなくマネジメントにも
長けていた武将ですが、
リーダーとしての在り方を
とても意識していた人物でもあります。
■上一人の気持ちは、下万人に通ずる
清正が遺したとされる言葉に、
「上一人の気持ちは、下万人に通ずる」
という言葉があります。
これは、
「大将が油断すれば、家臣も気が緩む。
家臣たちの統率は、大将の心次第だ」
という意味です。
つまり、上に立つ者の態度や言動、
行ないを部下は見ていて、
良くも悪くもその影響を受けてしまう。
だから、部下たちの統率を
図れるかどうかは、上司の心がけ次第。
清正はこれを常々
周りに言っていたようで、
自ら行動で示した武将でした。
いつ戦になってもいいように
常に戦の準備を怠らず、
腰に味噌などの常備食を携えていた、
という話さえ残っているほどです(笑)。
その姿をからかわれた際、
「これで家臣たちも、
備えを怠ることはない」
と答えたとされています。
語りたいことがたくさんあって
追いつかないのですが(笑)、
清正は多くの武将の中でも
戦だけでなく、築城やインフラの整備、
そして人を育てるところまで、
国づくりという広い意味で
あらゆることを徹底的にやり遂げた
武将だったと私は感じています。
戦だけでなく、
「国づくり」という観点で歴史をみていくのも
非常におもしろいです!
名古屋城にお越しの際は、
ぜひ清正公の像を見に行ってください!
私が拝んでいるかもしれません(笑)。