戦国武将に学ぶ!No.37~豊臣秀長②~
”軍師” こと、株式会社GUNSHIコーポレーションの社本です。
このnoteでは経営者の軍師としての目線で、
これからの時代を生き抜く戦略を発信しています。
私は日ごろより周りの方々から
”軍師” というニックネームで、
お呼びいただいています!(笑)
社名であることもその理由ですが、
私は自他共に認める歴史好き!
とくに戦国時代が好きです。
今回は、私が好きで見習っている、
学んでいる武将や軍師を紹介するシリーズ。
ぜひ最後まで楽しんでいただけたら幸いです。
■願えば叶う!2026年の大河
ちょっと先のお話ですが2026年!
大河ドラマ【豊臣兄弟!】決定!
豊臣秀吉と秀長という
戦国史上最強の兄弟が描かれます!
今回は既に公式に発表されているように、
最高のナンバー2である弟、
秀長目線で描かれるとか!!
2年前に書いた豊臣秀長①の記事で、
最後に私が何と書いたか……!!
「秀長で大河ドラマを熱望…!!(笑)」
既に私は書いていました…
そして叶いました……!!
そう!願えば叶う!!(笑)
いやぁ本当に嬉しくて、
今からワクワクが止まらない!!
というわけで今回は、
改めて秀長についてテンション高く!
熱く語っていきたいと思います!!
秀吉を天下人にしたといわれる軍師は
他にもたくさんいるのですが、
兄弟という間柄を除いても
秀長は秀吉から相当な信頼を
得ていました。
数々のエピソードから
私が想像する秀長は
人望はさることながら、
思いやりがあり感謝を忘れない人。
秀吉と同じく元々は百姓だったのですが、
織田信長に仕えていた秀吉から突然
「俺についてきてくれ」と頼まれ、
百姓を辞めて兄についていくのです。
それまでの生活を捨てるわけですから
兄のことを相当信じていたはずですし、
おそらくこの時に「兄を支え続ける!」
と覚悟を決めたのだと思います。
藤堂高虎という武将は
君主を7回変えた武将として
有名なのですが、
実は秀長にも仕えていました。
何度も君主を変えた高虎でしたが、
秀長にだけは秀長が亡くなるまで慕い、
仕え続けました。
藤堂高虎ほどの有能な武将であっても、
秀長からは学ぶことが多く、
魅力のある人物だったのでしょう。
そんな秀長の覚悟は、
あるエピソードから窺えます。
■したたかになれたのは覚悟があったから
あるとき、兄である秀吉は
信長の命令に背いたために
蟄居(自宅謹慎)を命じられます。
一緒に謝りに来て欲しいと
頼まれた秀長は、
兄と共に信長に謝罪し、
赦してもらいました。
このときに、
あろうことか秀長は信長に対して
「自分たちの領地を広げてほしい」
と願い出るのです。
謹慎処分となり謝りに行ったにも
関わらず、です(笑)。
恐れられていた信長に、
このタイミングでお願いできること
とは思えませんよね。
タダでは帰らない秀長の
したたかさが窺えます。
秀長は、ただ「良い人」だった
わけではないのです。
本当に豊臣家にとって良いことを
いつも真剣に考えていた。
だからこのような場面でさえも
大胆な申し入れができたのではないかと
私は思います。
秀吉は、国内の政治は秀長に任せ、
自分は海外に目を向けようとしていた、
という資料も残っています。
普通に考えたらできないことを
「ここぞ」という場面でやり遂げる。
これこそが覚悟の表れといえますし、
才能も覚悟も含め、兄である秀吉は
秀長のことをよく理解していた。
兄弟愛もさることながら、
こうしたエピソードの一つひとつが
信頼をつくり、秀長は豊臣家にとって
欠かせない存在になっていったのです。
改めて秀長は素晴らしい武将ですね!
まだ少し先の2026年ですが、
この大河ドラマは本当に待ち遠しい……!!
早く2026年にならないかなぁ……(笑)