【2年生】河口堰ができると、ものすごく大切なものを失ってしまうかもしれない。-三島さん講話
私たちが住んでいる岐阜県郡上市には、清流・長良川が流れています。
生活用水として使われている長良川は、なくてはならない存在。夏は子どもから大人まで川に飛び込み、全国からは鮎を求めて釣り人が訪れ、また観光客はラフティングやカヌーといったアクティビティを楽しむことができる、遊び場としての機能もあります。
こちらのnoteでもお伝えしたように、郡南中学校では令和4年から、特色ある教育プログラムとしてこの長良川をテーマに授業を設計しています。生徒たちは授業を通じて、身近にある長良川を色んな角度から捉え直し、そこから学びを深めます。
今回は長良川河口堰反対運動の中心を担っていた、三島真さんをお迎えし、「長良川河口堰は本当に必要だったのか?」について講話をしていただきました。
その内容を、簡単にご紹介いたします。生徒がどんなことを学んでいるのか、よろしければご覧になってくださいね。
長良川は、日本の川の中でもすごい川
日本に流れる川の数は約3万本あるといわれています。その中でも、ダムが本流になく、当たり前の姿で流れている川は、ほとんどありません。
ダムがある川はいつの間にか水位が下がり、流れを失っています。しかし長良川は、豊かな水をたたえ、アマゴや鮎といった川魚たちの住める水位・水温を保っています。
実はそれって、すごいことなんです。三島さんは生徒の顔を見て「日本の川の中でもすごい川なんですよ」と話します。
また長良川に生息するアマゴや鮎についても、こんなことを教えてくれました。
河口堰って、なんで必要だと思う?
前回の「総合的な学習の時間」では、実際に長良川河口堰を作った○○さんからお話しを伺いました。なぜ河口堰を作る必要があったのでしょうか。三島さんは「利水と治水が必要だったと言われている」と話します。
▼利水
長良川河口堰の構想がうまれたのは、高度経済成長期。急激に経済成長を遂げ、工業化が進み出生率も高まり、水の需要も高まっていました。そこで水資源の開発のために、河口堰が必要だったのです。
しかし、実際に河口堰の着工は1990年代。すでに水資源は必要なくなりました。経済も低成長になり、水のリサイクルも進んでいたからです。
長良川河口堰では毎秒22.5立方メートルの水資源の確保が可能となりましたが、実際に使われていたのは約3.6立方メートル。16%程度しか使われていなかったのです。(2015.7.4日本経済新聞)
▼治水
大きな論点となったのは、塩害対策でした。
洪水時に川の氾濫を防ぐために、水底の砂利を掘り下げる作業が行われました。しかし河口堰の建設地である三重県長島町は、掘り下げると塩害(塩水による農作物被害)が発生するため、田畑への被害拡大を防ぐ必要があります。
河口堰を設置することで、海水の侵入を防ぐ役割を担うことができます。
この治水の観点が、長良川河口堰の大きなポイントとなりました。
しかし、本当にそうなのでしょうか。三島さんは実際に、河口堰が設置される前の長島町にも足を運んでいます。
また隣の揖斐川は同じく海に面しており、川底が長良川より低いにも関わらず塩害の被害がほとんどないのだとか。これらのことから三島さんは「国よりも、市民団体や研究者の話していることの方が正しい」のだと、確信します。大きな声で、私は河口堰は必要ないと考えたと話してくれました。
自分の考えを持つには、どちらの側面も正しく知ることから始まる
長良川河口堰反対運動は、たくさんの方を巻き込んで大きな運動となりましたが、結果として河口堰は建設されました。しかし運動によって、100年変わらなかった河川法に「環境重視」「市民との対話」という文言が入り、今は工事を行う前に必ず生態系への影響を調査する「アセスメント」が行われるようになりました。
「自分たちの熱意が、次の世代に成果を手渡すことにつながったのではないか」と、講話を終えた三島さん。教室に拍手が響きました。
生徒は授業を通じて、長良川河口堰管理所と、反対運動を行った三島さんと、両方の考えを聞くことができました。「本当に長良川河口堰は必要だったのか?」の答えは、生徒自身が考えて導き出します。
一方の話を聞くだけでは、それが正解のように聞こえてしまいます。もう一方の話を聞くことで「意見が食い違っている部分があったな」「本当はどうだったのだろう」「話を聞く中で、自分はこんなことを感じた」など、生徒の中で考えが深まり、そこから生徒同士で議論を行い、自分の考えが定まっていくのだと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
それではまた、次回のnoteでお会いしましょう。