第1話 パウダーコンパクト
私、早乙女桃(さおとめもも)は、可愛いものが好きだ。ふわふわで、カラフルで、まんまるころんとしていて、見ると心がキュンとするものが好き。
ただ、それが似合うかどうかは別の話。
「……でけぇ」
すれ違った男性の呟きが嫌でも耳に入ってしまう。気の良い友人が隣にいたら、「無視すればいい」と言ってくれただろうけど、コンプレックスというのはそう簡単に拭えるほど甘くない。
中学で死を覚悟するほどの成長痛が私を襲い、18歳となった今では185センチとなっていた。しかも学生時代は兄のお下がりを着ていたため、男に間違われることもしばしば……貧乏だったし、文句なんて言えなかった。
似合わない。でも、好き。強烈なコンプレックスと憧れを抱えながら、私は生きている。
日焼け止めがなくなりそうだったことを思い出して、仕事帰りに化粧品コーナーへ向かう。
化粧品は「可愛い」の結晶。色、形、香り、すべてが乙女心に刺さるようにデザインされていて、使う前から気持ちを高めてくれる。そして使うことで自身も可愛くなれるという完璧なツール。
磨かれた床と真っ白な照明によって一層輝く商品達の姿に、さっきまでのくさくさとした気持ちが晴れていく。
ただ、こんな私がいるのは場違いな気がしてしまって、落ち着かないのも事実。なるべく目立たないように背を丸くして、チラチラと色とりどりのアイクリームをチェックしながら、目当ての日焼け止めを探す。
さっさと帰ろうと思っていたのに、売り場の顔となる場所に設置された特設台に目を奪われた。
段ボールと厚紙を組み立てて作られた台は、クリーム色ベースの背景色にピンクゴールドで描かれた蔦の枠が美しい。その真ん中に収められたパウダーコンパクトは、中が良く見えるようにフタが開いた状態で展示されている。パウダー部分は、まるで白蝶貝に彫刻を施したかのように、美しい女性の横顔が描かれていた。
──アルフォンス・ミュシャ。彼の絵は100年前のものとは思えないほど現代的デザインで、女性らしい曲線や花の装飾に、私は密かな憧れを抱いていた。
「よかったら試されますか?」
「ひゃっ」
店員の声によって現実に引き戻され、変な声が出た。
お手本のようなメイクをした店員さんは、私の変な声を返事だと受け取ったらしく、笑顔を浮かべながらパウダー部分にパフを擦りつけていく。
「手の甲につけますね」
「ひゃ、ひゃい……」
わあ、いいにおい……! 店員さんの髪からふんわりと甘い香りがした。なんだ、いいにおいって。男子高校生の感想か。
言われたまま、右手を差し出す。この間猫さんに引っかかれてボロボロになった甲を見て、変な汗が出始める。
「サラっとした塗り心地なんですけど、でもほら、触るとちゃんとしっとりしているんですよ。保湿成分が入っているんです」
「あ、あ、ほんとそうですね、はい」
恥ずかしい。恥ずかしいのに、いい香りやら、パウダーの塗り心地やら、乙女心をくすぐる情報が流れ込んできて、軽くパニックになっていた。
そんな私の状態なんて知らずに、店員さんは真っ白な照明が眩しいお試しコーナーを目配せして、「良かったらお直しもしましょうか?」とか言い出した。
「あ、いや、その……このあと用事が……」
もちろん用事なんてない。あとは家に帰るだけ。
だって日焼け止めしか塗っていない顔に、そんな高価なパウダー塗れない。憐れな毛穴なんて見せたくない。ムリムリ、絶対ムリだって。
しつこく誘われたらどうしようと心配したけど、店員さんはちゃんと一度目のお断りで離してくれた。
最後に手渡されたパンフレットを眺めながら、ショッピングセンターの自動ドアを潜る。蒸された空気を浴びても、手の甲だけはいつまでも爽やかだった。