よくわかんねえを30余年続けてきて
「よくわかんないけど悲しい」
「よくわかんないけどイライラする」
どうして負の感情ほど、よくわかんないところから生まれてくるんだろうね。よくわかんないと対処のしようもないし、その経験を次に活かすこともできない。
負の感情っていうのはどこまで行っても「負」の側面で構成されているもんなんだなぁと。嫌になってしまう。
自分という人間と誰よりも長く付き合っているのが、この自分自身だ。それなのに、私のことが私にもよくわからないならもうお手上げじゃないか!
「よくわかんない」にはなにやら小難しい脳みその動きだったり遺伝的なものだったり感情だったり、とにかく色々とこじつけられるものがあるらしい。だから「そんなもんか」とやり過ごすことが一番合理的なのかもしれない。
言ってて本当にそうだろうかと首を捻る部分もあるにはあるのだが、面倒なことはとりあえずスルーしとくかっていう生き方が染み付いちゃってるから。まあ、それでいいか。
今なんかとても悲しくて、必死にそれを紛らわそうと無意味なことをぐだぐだと喋って紛らわそうとしているってわけ。
てか、毎回無駄に長いよね私のnote記事。長く書けばいいってもんじゃないのよ。小説と一緒。
私は小説を短くまとめるのも苦手。いらない描写をこちゃこちゃと盛って盛ってなんだかよくわからない文章にしてしまいがち。表現力や語彙力が貧弱な文、とりあえず長文にしてそれっぽくしてしまえってことなんだろうけど。読みにくいったらありゃしない。
私はそもそも活字を読むのが苦手なタイプだったりする。二次創作以外では小説ってほとんど読まない。
とか言いつつ、物語を表現する手段として「小説を執筆する」こと自体はとても好きだ。なんだか矛盾している気もする。お酒を作るのは好きなんだけどお酒は飲まない人みたいな。ちょっと違うか?
自分が小説を書き始めたきっかけは一体なんだったろう。最初は詩を書いてたはず。10歳くらいの頃だろうか。なんかかっこいいことが書きたかった。情緒を感じさせるようなモノローグというものが私の中で大ヒットしていた。それに物語性が伴い、登場人物が生まれ、長文化した。それだけのことだったのかもしれない。
ちょうどその頃パソコンを使い始めた私は、当時流行っていたリレー小説なんかにも手を出していた。大した文章力もないガキだったけど、色んな人と物語を綴っていくその一端を担っていたのだから大したもんだ。怖いもの知らずだったんだろうな。今なら無理。合同で何かを作るのって、自分のレベルでは相手に申し訳ないと腰が引けてしまうから。
ふと、私って昔から活字アレルギーだったんだっけ?と思いを巡らせてみると、実はそうでもなかったのかもしれんなということに最近気づいた。
小学校中〜高学年頃、学校の図書室でよく借りてた本があったのを思い出した。タイトルは思い出せないけど、なんか怖い話の本だったはず。児童向けのやつね。でっかいフォントで挿絵なんかもそこそこ挟まれている、小説と呼ぶには文字数がずいぶん控えめなその本。それこそ、学校であった怖い話みたいな本のシリーズだった気もする。多分シリーズ全て借りて読んだんじゃないだろうか。そこまで怖い話が好きというわけでもなかったと思うんだけど。
中高はあんまり本を読んだ記憶がないんだけど、大人になってから一瞬中古の文庫本を買うのにハマった時期があった。恋愛系の小説ばっかり。オムニバス形式で短い話がいくつか載ってるものをよく読んだ気がする。長い物語を文字で読むのは昔から苦手だったのかもしれない。今も割と短編〜中編くらいのものしか読まないし。その頃ちょっと詩集とかも買った覚えがある。銀色夏生とか。懐かしいなあ。
ちょっと話がズレるんだけど、私はあまり詩も本で読んだりしない。びっくりするくらい他人の詩に興味がない。漫画とかだといいんだけど、文字だけで構成された詩はほとんど読まない。なんというか、全然面白いと思わない。私はあくまで自分の感情にしか興味がなくて、それを詩にするのが好きなだけなんだと思う
これ、全部私の作品作りの拙さに繋がってくると思うんだよね。よく文字を読む人は文字を読むこと自体が好きな人が多い気がして、色んなことに興味を持つ能力も高いのではないかと思う。
私は細かいことに拘らないタイプで、そのせいでちょっとした矛盾とかに気づくのが苦手なタイプでもある。ちょっとした違和感とかそういうものに鈍くて、推理物とか読んでてもさっぱり犯人に辿り着けない。疑問を持つのが苦手なのだ。「○○ってことは△△ってこと」と何かを結びつけたり、そういうことを考えながら物語に向き合わないからなのだと最近は気づいた。つまり私はなにかの物語を眺める時、基本的に何も考えていないってことだ。
そんな人間の描くお話は、どうしたって羽薄っぺらくなってしまいそうだし矛盾を孕まざるを得ない。私の創作が独りよがりなところはこういうとこにありそうだなーって思った。
これ一体なんの話がしたくて書いてるんだっけ?わかんなくなっちゃったな。
ちょっと話を戻すと、私は自分で思ってたほど活字アレルギーではなかった。けど、触れてきた物語に対してそれほど真面目に向き合ってはこなかったから「創る者」の視点が備わらなかったなあと思ったって話。なのか?
別に小説たくさん読む人は小説が書ける!って話ではないんだけどね。でも意識して読んでる人は、文章を整理する能力とか高そう。
単純だけど、いい文章をたくさん読んで、そのいい文章の何が「いい」のかちゃんと自分の中に落とす作業ってのをやるようにしたら、少しは文章力が上がるかな?
読書感想文、書こうかな。
はー。色々考えてたら悲しい気持ちどっか行った。
おやつたーべよ。
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