ぐねぽ

詩とか小説とか、日々のこととか色々。

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最近の記事

責任を負うことが億劫であるということ

決断する、ということがひどく億劫に感じられることがある。 感じられることがあると表現してしまうと、それほど頻度が多くないことのように見えてしまうが、まま頻繁にある。 なぜ決断するという行為が面倒くささを引き起こすのか、少し考えてみた。 簡潔に言えば、決断には責任を伴うからだ。 自分が決めたことがきっかけで問題が発生すれば、私は自分を責めることになる。 この「自分を責める」ことがそもそもおかしいところなのだが、認知の歪みによって自責感情が異常に強いためそうなってしまう。 誰

    • クソデカサンドイッチくん

      今日朝からカウンセリングでね、終わった後出社時間までちょっと時間があったもんだから、パン屋さんでお昼ご飯を買ったのね。でっけぇサンドイッチ見つけて、うわぁ〜でっけぇな〜と思ったんだけど、とりあえず買ったのよ。 商品名にも「ガリバー」なんてついててさ、もう名前でもデカさを誇示してるわけ。まぁ昼ご飯だし、ちょっとくらい大きくても大丈夫でしょって思って。 昼になって取り出してみたら、やっぱデカくて。え?流石にデカくない?デカすぎやしない?つーか重くない??と思いつつ、食べ始めた。

      • 下降気味

        「調子がいい」とは、とても言えない。 調子が悪い時ほど筆が進んだり、無駄に脳みそが動き回って取り止めもなく言葉を吐き出したりしがちなのだが、「調子が悪い」が深く濃く渦巻くと、それすら通り過ぎて何もできなくなる。 それでも頭ばかりはより深い方へ、底の方へと潜りたがっていて、華やかさや明るさといった刺激から身を隠したがる。暗い刺激に、どんよりとした泥濘に全身を浸して、ゆらり、ゆらりと感覚を失いたい。そんな思考に至る。 光の射さぬイメージに囚われること、色の無い儚さに気を取られ

        • 言語化をもっと突き詰める訓練をするとともに、「伝わりやすさ」をどう表現するのがいいのかも学ばにゃならん。絵も文章も、まだまだ勉強しなきゃならんことが多い。それを思うと、一生として与えられた時間が短いなあと感じる

        • 責任を負うことが億劫であるということ

        • クソデカサンドイッチくん

        • 言語化をもっと突き詰める訓練をするとともに、「伝わりやすさ」をどう表現するのがいいのかも学ばにゃならん。絵も文章も、まだまだ勉強しなきゃならんことが多い。それを思うと、一生として与えられた時間が短いなあと感じる

          精神状態悪いときに書いた日記はまとまりがなくて下書きで溜まる。でも調子いい時はあんま日記を書かない。つまり調子が悪いときに駄文を蓄積しといて調子がいいときに推敲して投稿すればいいのじゃね

          精神状態悪いときに書いた日記はまとまりがなくて下書きで溜まる。でも調子いい時はあんま日記を書かない。つまり調子が悪いときに駄文を蓄積しといて調子がいいときに推敲して投稿すればいいのじゃね

          発信してもどこにも届かないということ

          ※クッッッッッッッッッッッッッソネガティブすぎるので注意。 繋がった先に誰もいない受話器へ向けて、必死に語りかけているような徒労感。 返事のこない手紙を、送り続けているような虚無感。 それでも何かを作って、発信するというところまでで一区切りとしている自のは私なのだから、その「無意味」さを受け止めているつもりで。 自分の中でのみ「意味」がある。そう思ってやってる。そのはずなのに。時々、他人への影響を持ちたいという「強欲」がそっとこちらを睨んでることがある。 なんて表現は、

          発信してもどこにも届かないということ

          ネガティブの溢れるこの体で

          下書き溜め過ぎだろ問題。 書いたら投稿しろよ。鮮度が落ちると意味わかんなくなる記事が多いんだよ。 まあいいや。 楽しみにしていたイベントに参加して、終わりました。 案の定落ち込みモードきちゃって、もうやんなっちゃうね。あははん。 予定通りに進まなかった原稿。思いつきで色々展示してみては、自分のネガティブな心が生み出した意地悪な誰かが耳元で囁く。 「こいつ、大して上手くもないのにめっちゃ作品用意してるやんw」 「誰向けアピールだっつの。誰も見てませんよーww」 こうい

          ネガティブの溢れるこの体で

          やる気なんて所詮心の健康次第

          なーんもやる気が出ない。 土日、何か意味のあることをした記憶がない。 そもそも、水曜日時点でもう心身ともに絶不調だったことに勘づいていた私は、木曜はなんとか這うように会社へ赴き打ち合わせをこなし、金曜日は休みますと宣言した。 今月の目標は、朝突然「今日無理、休みます」をやらないことなので。前日に判断して休む分にはセーフ。あと遅刻もセーフ。激甘基準で運用中。 つまり3連休だったわけなんだけどね。金曜日ほんとダメすぎてびっくりした。そもそもめちゃくちゃ起きるの遅かったんだけ

          やる気なんて所詮心の健康次第

          石が溶ける

          ひどく眠い。 「すごく」とか「とても」を「酷い」という言葉で置き換えるのが好きだ。 「めっちゃ」よりももっと強調力の高い言葉な気がしている。「えげつない」という表現が近しい気がする。 とにかく、どんな修飾を用いても物足りないほどに大きいという度合いを示したい時に使いたい言葉、と私の中では定義されているのかもしれない。 とにかく眠い。眠くて仕方がない。眠いからこれを書いている。目を覚ますためにこれを書いている。 昨日久々に夜更かしをしてしまった。理由はソシャゲだ。某ステッド

          石が溶ける

          作りたてが一番美味しいに決まってる

          決まってる、と言うとそれはちょっと言い過ぎだけど。少し冷ましてからの方が美味しいものもあれば、数日置かなければ味が染みてこないものもある。 大抵のものには「賞味期限」というものがあり、美味しく食べられる期限が決められている。 私はこれに関して非常にルーズな感覚を持ち合わせていて、表記した期間には縛られず腐っているか否かを自分で嗅ぎ分けて判断すれば大丈夫!って感じでここまで生きてきた。親がそういうタイプだったから、自然と踏襲してしまったらしい。 実際大きな問題もなくうまくやっ

          作りたてが一番美味しいに決まってる

          脱線の行方

          何かに詳しいってかっこいいよね。 私はいつも「かっこいい」に憧れている。 書いた瞬間に「本当にそうか?」って疑問が湧いたけど。 もっと正確にいうと、「えぇ〜〜〜すげぇ〜〜〜〜〜」って思われたいってことかもしれない。 私の中の「かっこいい」の定義の一つに「すげぇ〜〜〜〜〜」があって、「すげぇ〜〜〜〜〜」と思われることの一つに「何かに詳しい」がある。ってことだな。 最近さぁ、自分がいかに瞬発力だけで文章を書いていたかってことに反省することが多くって。 最初に「○○って言いたい

          脱線の行方

          転んだり、崩れたり

          変わっていく季節に追いつけなくなって、取り残されて、あまつさえ転んでしまう。そんなふうになってしまったのはいつからだったろうか。 心が季節を捉え、取り巻く空気に下手くそなステップを刻んでは、歌い笑ってたあの軽やかさはどこにいってしまったのだろうか。 季節の変わり目に心や体の調子を崩すだなんてこと、ここ数年で初めて知った。いや、今までもそうだったのかもしれないが感知していなかっただけなのかもしれない。バカは風邪を引かない理論。調子を崩していることに気づいていなかっただけかもし

          転んだり、崩れたり

          書くことで描く

          書いても、書いても、何を伝えたい文章なのかがわからなくて下書き保存をしてしまう。最近ずっとこうだ。 別に誰かに何かを伝えたくて書いてるものでもないんだし、好きに書けばいーじゃん、とは思いつつも。パブリックな場所に出している以上、やっぱり伝えたい「何か」が見えてくるものであって欲しいと思ってしまう。 それは別に一つじゃなくてもいい。読む人によって見えてくるものが違っていいし、私の伝えたいことの根本とずれてたっていい。それでも、何かに「ふーん」くらいは思ってもらうために書いてるん

          書くことで描く

          よくわかんねえを30余年続けてきて

          「よくわかんないけど悲しい」 「よくわかんないけどイライラする」 どうして負の感情ほど、よくわかんないところから生まれてくるんだろうね。よくわかんないと対処のしようもないし、その経験を次に活かすこともできない。 負の感情っていうのはどこまで行っても「負」の側面で構成されているもんなんだなぁと。嫌になってしまう。 自分という人間と誰よりも長く付き合っているのが、この自分自身だ。それなのに、私のことが私にもよくわからないならもうお手上げじゃないか! 「よくわかんない」にはなに

          よくわかんねえを30余年続けてきて

          ポップさに苦しいを包んで踊るような日々

          しんどいことを明るいメロディに乗せるような音楽が、最近やたらと感傷を呼び起こす。 悲しいことを悲しそうに表現したものに感じ入ることももちろん好きなんだけど、やはり私の心はギャップというものを求めているのかもしれない。 毎日ってそんな感じじゃない?しんどい気持ちはすっかり踏み固められていて、いつの間にやらスコップの先っぽさえ欠けてしまいそうな程の強度で。そんなどうにもなんないことを嘆いてもいらんないっていうか。嘆いたってどうにもならないってこと、もうここまでの歩みで十二分に知っ

          ポップさに苦しいを包んで踊るような日々

          調子が悪いことを良い感じに表現できたなら

          表現できたらなんだって話だけど。何のためにその「良い感じ」に寄せる必要があるのか。それは、いい感じに書き残した方が後で読んだときに楽しいからだろうな。っていう結論付けをできたのは一つ成長だと思った。 「自分軸」という言葉をどう捉えようかというのは一つ課題なんだけど、でも自分に都合がいい感じに持って行った方が生きるのは格段に楽になるだろうなという予想は容易いよね。 何をするにしても「自分が楽しい」を優先すればいいじゃんって思うことにする。今はそれが一番だね。 で、最近アホみた

          調子が悪いことを良い感じに表現できたなら