調子が悪いことを良い感じに表現できたなら
表現できたらなんだって話だけど。何のためにその「良い感じ」に寄せる必要があるのか。それは、いい感じに書き残した方が後で読んだときに楽しいからだろうな。っていう結論付けをできたのは一つ成長だと思った。
「自分軸」という言葉をどう捉えようかというのは一つ課題なんだけど、でも自分に都合がいい感じに持って行った方が生きるのは格段に楽になるだろうなという予想は容易いよね。
何をするにしても「自分が楽しい」を優先すればいいじゃんって思うことにする。今はそれが一番だね。
で、最近アホみたいに調子悪かった。今もまだ引きずってるんだけど。先々週の時点で結構キテたんだけど、先週はマジでボロボロ。水曜日は午後出社だったからなんとか重たい体を引きずって出社したんだけど、そこで限界を迎えたらしく翌日は休んでしまった。
動けないときマジで動けない。とにかく布団から出られなくて、辛うじて枕元のスマホを手に取りギリギリの精神力で休む旨のメッセージを送信。そっからもうただひたすら横になってるだけ。トイレすらギリギリまで我慢するレベルに心が死んでた。
尿意が限界に達してようやく体を起こし、トイレに行った流れでなんとか歯磨きまで済ませた。偉い。人間らしい行動が一つこなせるたびに大げさに自分を褒めなければならない程度には精神が終わってた。
結局そのあとまたしばらくベッドに横たわってたんだけど、今度は空腹が襲ってきた。食欲を感じること自体こういう状況の時は非常に素晴らしいことだ。そして私はよく知っている、空腹は心を疲弊させるということを。
時間は気が付けば正午を越えており、午後の仕事が始まるような時間にまで達した。私は横になりすぎて痛む体を何とか奮い立たせリビングへ降り立つと、クソデカコストコマフィンくんをあっためながらコーヒーを淹れる。心が死んでるときは甘いものとコーヒーが一番。いや、本当はポテトとビールが一番なんだけど昼なんでね。そこは今の自分が越えてはならない重要なラインだった。
精神が病んでいるときにお酒は本当に危険だ。あまりにも優しく寄り添ってくれる。私は若い頃にそれでかなり失敗を繰り返しているため、慎重だ。特に「昼間の飲酒」は人間を容赦なくダメにする。アルコール依存症の条件を踏んでいくきっかけの中で一番最初に登場する越えてはいけない一線というわけだ。コーヒーはいい。私にとってはお酒の代わりみたいなものだ。
食後、無事しばらく動けなくなるが何とか気力を振り絞ってシャワーを浴びる。このシャワーを浴びるという行為も、精神の状態を知るためには非常に重要なポイントだったりする。体を清潔にするということを後回しにできるほど体が重い時は、本当にダメな時だ。なのでここで相当パワーを使った。そして勢いに乗るように洗濯機を回す。すごい。これほどしんどくてもやらねばならぬことを何とかこなした。
だけどここで完全にエネルギーが切れた。もう何もできない。夕方にはまた布団に戻った。夜は夫の慈悲によりマックになったわけだが、車に乗ってモバイルオーダーをして商品を受け取るのも相当な行動力が必要となる。それでも私はそれをこなした。この日の私は何度も限界を迎えたが、何度も限界突破してやるべきことをこなすという偉業を成し遂げたのだ。もう何も言うことはない。
結局「良い感じに表現する」ってなんだよと思いながらこれを書いてるわけだけど。とにかく調子が悪いということを書き残さねばなるまいと思ったのだ。未来の私へ向けて。お前はこんなことを過去に経験した、だから未来でも同じことがあるかもしれんが何とかなるぞって。
にしても、社会復帰から2ヶ月弱が過ぎたわけだが、私は再び心の均衡を完全に崩した。鬱とはとても難しい症状なのだなぁと改めて思った。
と、恐らく上記の内容は木曜日辺りに書いたのだが、下書きで放置されていた。こういう内容を放置されると調整して投稿するのが面倒なのでやめていただきたい。
結局金曜日も休んだし、土日もなんだかボヤっと過ごしていた。日曜夕方頃から少しだけ何か趣味のことで手を動かす気になって、今これを書いている。
明日カウンセリングだけど、しんどくなってますって話したら多分怒られるんだろうなあ。復帰直前直後に趣味のことでエネルギー使い過ぎって注意されてたから、言わんこっちゃない!って言われると思うんだよなあ。まあ、真摯に受け止めましょ。