転んだり、崩れたり
変わっていく季節に追いつけなくなって、取り残されて、あまつさえ転んでしまう。そんなふうになってしまったのはいつからだったろうか。
心が季節を捉え、取り巻く空気に下手くそなステップを刻んでは、歌い笑ってたあの軽やかさはどこにいってしまったのだろうか。
季節の変わり目に心や体の調子を崩すだなんてこと、ここ数年で初めて知った。いや、今までもそうだったのかもしれないが感知していなかっただけなのかもしれない。バカは風邪を引かない理論。調子を崩していることに気づいていなかっただけかもしれないってことだ。
私が積み上げられたジェンガだとしよう。季節の変わり目にはきっと何本かの構成要素、つまりジェンガの一部が抜き取られていたのだ。若い頃はなんとも絶妙なバランスで立って見せたものだが、今はどうだ。ゆるゆるになった真ん中の木をちょこんと指で突いてやるだけで、ガラガラと大袈裟な音を立てて崩れてしまうのだ。
ああ、調子が悪い。寝ても覚めても調子が悪い。体調が悪いことを口に出すのは、忙しいということを口に出すのと同じくらい不愉快な気持ちがする。嫌だ、嫌だ。私は元気印で居たいのだ。みんなが「どこが痛い、ここが悪い」などと曝け出しあっている間を、ぴょんぴょんと飛び跳ねて通り抜けていきたいのに。年相応に、体調が悪いのだ。そして精神状態もまた然り。
私は長生きがしたい。健康に、人に迷惑をかけず、自分の好きなことをいくつになってもやり続けたい。私に言わせれば一生なんて本当に短い。だって、一週間を時間に直せば168時間で、一日平均して6〜7時間寝ているわけだから引いて122時間。そっから更に一日8〜9時間の労働と通勤時間があって、残り59時間。おまけに家事や食事もあるから結局自由になる時間は35時間程度。一週間にその程度の自由時間しかなくて、一体何ができる?何事もコツコツとやるほかないことを考えると、一生のどれほど短いことか。
健康を損なわずに生きたいと思う一方で、体に悪い食べ物は大好きだしお酒のない人生など無無味乾燥だとも思う。わがままだね。でもわがままでいいんだ。結局人生なるようにしかならんし。
何が言いたいかというと、季節の変わり目に左右される精神状態や健康には飽き飽きしてるってこと。歳をとるにつれて、季節が過ぎ去るスピードも早く感じられて、結果いつも調子悪いみたいな感じだし。そうじゃないでしょ。さぁて次の季節は何しようかな!って、元気で楽しく日々を過ごしたいんでしょ。とはいえ無理な時は「無理だ」ってことを受け入れるのも大事なんだけどね。
下書きばっかり増えてくから、つまんないことでもいいから投稿したくなっちゃった。
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