便秘の人を羨ましくすら思う
岩田です。はてなブログの過去記事転載です。
私は生まれつきお腹がゆるい。
この腹のせいで何度も絶望を味わった経験がある。
最も絶望的な経験は雪の日の急行電車、通勤通学の時間帯に雪の影響でノロノロ運転、途中下車不可能の状況でターミナル駅へ到着する前に満員電車内で私は下痢状態の”果て”を経験したことがある。
私は再び絶望的な経験をした。
世の中には便秘が辛いとの声を多く聞く。
だが絶望的経験が多い私からすれば便秘を羨ましく思う。
備えあれば患いなし
前日に焼肉をたらふく食べたのが原因だろうか、それともシリカ水をがぶ飲みしたのが原因なのだろうか、朝から私の腹は活発な音を立てていた。
こんな時の放屁は決まって強烈な香りだ、腹の中で熟成されたガスは濃度の濃い硫黄的な香りによく似ている。
「今日はヤバいな」
幾度とない絶望的状況な経験から学習した事、それは朝から下痢的な腹の場合は予備のパンツ及びティッシュ一箱、加えてビニール袋を携帯していおくこと。
つまり意図せず果ててしまう事態を想定した動きが重要である。
「備えあれば患いなし」
この言葉の持つ意味は大きい、それはお腹がゆるい人にとって尚更大きい。
公園のトイレ前で絶望的状況を味わう
今になって思えば昼飯を食べた後にトイレに行かなかった私の判断が悪かったと断言できる。
私は飯後に腹が少々ギュルついているにも関わらず無防備に店を出てしまった。
長年の経験から駅まではキープ出来ると踏んでいたが状況は一変、細かい屁が小刻みにペスパスと発射される状態になり持ってあと1分、初発漏らしでパンツを犠牲にしたとしても2分が限界だ。
駅のトイレは完全に諦めて公園か交番、そして公園が近くに存在する事を私は知っていた。
最悪公園のトイレが使用中だとしても物陰に隠れて事を成す心構えはいつでも出来ている、危機的状況に変わりはないがズボンまでは持っていかれないだろうとたかをくくっていた。
しかし神は無情だ。
全力で走って公園の入口に到達した時に初発、この時点でパンツがやられてしまった。
下痢なので布ごしにどれぐらいの被害状況であるかは分かるがまだリカバリー可能な状態、ゆっくり歩いてトイレに入り、ズボンをクリーンな状態に保ったまま処理、その後予備のパンツに変えれば絶望的状況にはならない。
私は薄い布と肌の間からブツがこぼれないようにゆっくりとトイレに向かうも第二波が遅いかかる。
焦った私が小走りでトイレへ向かう時、布一枚でキープしていた物が限界を突破、ズボン内部で膝の裏に垂れた感触を味わう。
もう一刻も早くトイレに入らなければならない状況でノブに手をかけた瞬間だったろうか、第二波を止めれるだけの力が私には残されていなかった。
ズボンまでやられる
公園のトイレに入った時の腹は全て出しきった状態となっていた。
それを受け止めたのはズボンであり完全にアウトな状況である。
もう全てがダメになった服をゆっくり脱ぎ、パンツをビニール袋にしまい被害状況を確認するとズボン左足部がやられており水洗いするしかない。
ティッシュで可能な限り拭き取り、予備のパンツに履き替えたあたりで涙がこぼれた。
その涙を手で拭ったその手にもブツが付着しており顔までも...
人間ここまでくると精神が崩壊しそうになる。
それは若かりし頃に満員電車で果ててしまったあの時もそうだった。
軍隊の特殊部隊やレンジャー部隊が極限状態の訓練をさせるのは精神の崩壊を防ぐ意味があるのかもしれない。
公園の水道でズボンを洗って自宅まで歩く
何もかもが悲惨だった。
公園の水道でズボンを丸荒いする、私の中では”体調が悪く吐いてしまったものがズボンに付着したので公園で洗うしかない俺”を演じながらひたすらズボンを洗った。
手も顔も洗った。
泣きながら洗った。
ここまで絶望的な状況になってしまうとその日の予定は全て後回しにして自宅に帰るしかない。
徒歩で一時間ほどかけて自宅まで帰った頃、濡れたズボンはある程度まで乾いていた。
自宅で服を着たまま浴びる42℃のシャワーが壊れかけていた私の心をゆっくりと正常に戻してゆく。
長かった悲惨な状況、2時間ほどで平常に戻れた。
便秘の人が羨ましい
便秘で悩む人の気持ちが私にはよく分からない。
だが世の中では便秘解消のアイテムが豊富に売られることからも便秘で苦しむ人は多いのだろう。
便秘の苦しみと漏らす苦しみ、どちらのほうが強いのかまでの判断は私には出来ない。もしかすると便秘の人は腹が弱い私を羨むのかもしれない。
だが私はそれと同じくらい便秘が羨ましい。
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