分散 (不)登校!?

今朝、我が家の子どもたちがぼそっと口にしていたフレーズ。

分散 不登校。

きっとつぶやきや思いつきレベルなので、深い意味はなさそうだけど。

どうやら家庭を主とした生活リズム、学習リズム、遊びのリズム、その多くがきっとしっくり来ている我が家の子どもたちは、来週から再開される学校へあまり前向きではなさそう。

教員をしている身からすると複雑な心境。「全力で迎え入れる」意識で、様々なことに注意を払いながら、文字どおり全力で準備をしてきている。そこには、「子どもたちの主な生活の場は学校、学校が始まれば子どもたちはまた生き生きと生活する」みたいなどこか幻想チック、神話チックな思いがあるのかもしれない。

でも、子どもたちの中には我が家のような子どもたちが一定数いるという想定のもと、向き合うことが必要なのかもしれない。そして、その想定がないと、自分たちが全力で準備をしてきて迎え入れているのに…なぜ子どもたちの反応が悪いんだろう?子どもたちはやる気がないのではないだろうか?子どもたちはもっと頑張れるはずなのに?と思い、子どもたちを叱咤激励するかもしれない。ここに小さなズレが生まれるとその後の歯車は噛み合っていかないだろう。そこにいち早く気付けるかどうかが子どもたちに安心感を持って向き合っていけるかにつながると思う。

ちょっとだけ仕事の側面から見てみると、「同一性の保持」の「同一性」は、今は「家庭」であり、「学校」ではない可能性が大いに考えられる。なので、「家庭」が基盤の生活から「学校」に基盤を移すには大きな変化が生じ、大きな不安要素になることが予想される。これには日常的に用いてるスケジュールやコミュニケーション方法を用いて、丁寧に「変化」が起こることを伝える必要性がある。一人ひとりの認知レベルに応じながら、なぜ変化が起こり、この後どうなるのか、それは安心・安全なものであるのかなどを一つずつ丁寧に伝えていかなければならない。この作業を抜きにして、基盤を学校に戻したから子どもたちは以前と同じように安定して生活できる、とは思わないほうがいい。さらに、そこに新しい生活様式を強いるわけだから、そのストレスは大人が思うよりも何倍もかかっていると考えて、向き合わなければならない。


我が家の子どもたちのつぶやきからそんなことを考えている週末。


来週には学校が再開される。

もうひと準備しなければならない。



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