「スペースキー」
入力した文字を変換するときに用いる「スペースキー」
最近は予測変換機能が充実していることもあり、今までのような頻度で使うこともなくなっただろうか。
世の中はこの予測変換機能のごとく、誰かが常にいくつかの予測を示してくれ、その中から選択することのみで先へ進み、自ら選択肢を立て、その中から最適解を求める行為を放棄しているのか、先延ばししているだけなのだろうか。
先のnoteで学校従来の授業スタイルに戻す動きが多かれ少なかれ出ていることを記した。
なんだかそのnoteに書き込んでいるうちに、この「スペースキー」の存在について思うところがあった。「スペースキー」に指をかけるということは、自ら選択することを意図しているのではないだろうか。そして、世の多くのことは、スペースキーに指をかけることなく、オートマチックに出されてくる予測変換機能に頼って生きることになれすぎてはいないだろうか。
従来の姿に戻すことで得られるものは何か。
「安心」か。
その安心は誰にとっての安心か。
「従来の姿に戻す」という変換をしているのか。
それともそれは「無変換」を意味するのか。
「本来の授業スタイル」を入力し、スペースキーに指をかけ、思い切って押すことによって得られるものはないのだろうか。
今の学校はコロナ禍という外圧によって将来へ向けての大きな岐路にあるように勝手に思っている。
教師自身のアップデートが求められている。
スペースキー本来の「空白」を作りだす余裕がほしい。