コロナ禍でいろいろと考えていることが少しつながってきている。ある友人の大切な話をきっかけに。
よく知る同業の友人がSNSへ投稿していたものを許可を得て原文のまま載せます。
ワクチン義務化について思うこと
苦手な人がワクチン義務化を訴えていてもやもやした。
傷つけずに話せる気がせず口をつぐんだ。今日、訳あって、家庭訪問をした。親御さんが私のワクチン接種を心配なさっていたので、正直にワクチンをうてないことをお話しした。合わせてエピペンのこと、私が倒れた時に同僚たちがエピペンをうってくれること、アナフィラキシーショックのこと、お医者様からコロナウィルスで亡くなるよりワクチンを接種して亡くなる確率の方が非常に高いと言われていること、すべてお話しした。
むしろとても心配してくださった。ありがたかった。
もしかしたら本心は違うかもしれない。
そうだったとしても私にはとてもありがたかった。
以前、基礎疾患のあるお子さんの親御さんにもお話しした。
その方も、同様にお話ししてくれた。
もしかしたら本心は違うかもしれない。
そうだったとしても私にはとてもありがたかった。
私はうたないわけじゃなく
うてないのです。
(もちろん、うたない方を批判するつもりは1mmもない)
ワクチン義務化を訴える人は、私のような人間が目の前でワクチンをうたれ、目の前で死なないとわからない。私のような人間が目の前でワクチンをうたれ、アナフィラキシーショックで、処置されているのを目の前で見ないとわからない。ここまで原文のまま。
皆さんはどう思われますか?
この投稿を読み、ずっともやもやしていましたが、この友人とは音声でもやりとりする機会があったので、私の友人数人を交えて、直接この内容を話題にしました。そしてその中から私の中でつながり出したワード、事柄を徒然なるままに下記に列挙します。あとは、読んでくださった方々がそれぞれ何かしらの思いをもっていただけたのなら十分です。これには答えがないからだと考えます。
私たちの仕事はエッセンシャルワーカーとして、世の中で優先してワクチン接種ができるということ。逆に言うと、世の中からは必ず打ってほしいと強く願われているということです。
ワクチン接種は、個人の考えで選択するものですし、その状況は個人情報の保護により守られるのが原則であると思います。しかし、仕事上、その情報は事実上、同僚と共有されている状態にあるということです。
強く願われて、誰よりもそれに強く応えたいと願っている人でも、できないことがあるという事実。そして、その事実が正確に受け取られないという現実があること。
例えば、今後、ワクチンパスポートのようなワクチン接種を条件とするものが、職務上で必要になった場合、仕事が続けられなくなるという不条理。
例えば、生徒同士が何気ない会話の中で使う「打った?打ってない?」から始まる差別意識。「考える」という過程をすっ飛ばした会話のもつ暴力性。
話は、障害のある子どもたちへのワクチン接種に対するマイノリティ性にまで至りました。これについては他でまた取り扱うもしれません。
そして、これらを決定しているのは全て特権を持つマジョリティということを強く意識をすべきです。
さて、皆さん、どう考えるでしょうか。