好きだとまた会える
わたし あなたの さいごの恋人だったの
ただ あんまりにも短い恋だったから
わたし もういちど あなたに あいにきたの
人魂のような丸いシルエットのいけちゃんは、他人からは見えないふしぎな存在。いつも「ぼく」に寄り添い、慰めたり、叱ったり、夜のトイレについてきたりしてくれる。母親みたいだけれど、「好き」と言われて喜んだり、女の子の友達に嫉妬したり、恋人のような一面もある。
いけちゃんと仲良しだった「ぼく」は、やがて一人でいろんなことが大丈夫になる。いじめられても泣かないし、寝坊も遅刻もしない。遊ぶ相手も友達を優先する。その姿を寂しそうに見守るだけのいけちゃんは、大人になった「ぼく」に正体を明かす。そして「あなたの子どもの頃をみられてしあわせだった」と感謝を伝えて姿を消す。
この絵本に描かれているのは男の子の世界だ。遊ぶのも、泣くのも、ケンカするのもいつも本気。叱られただけで、この世の終わりのように惨めな気持ちになるし、帰宅して親が居ないと不安になる。私も同じだった。目の前のできごとがすべてで、いつも本気で生きなければならない。子どもというのは哀しい存在だ。
おとなになってすきな人ができたら
このことをはなすといいよ
すきなひとがわらってくれるよ
いけちゃんは、いじめられて泣きわめく「ぼく」をこう慰めてくれる。まるで私のすべてが許されたようで、とても安らかな気持ちになれる。子どもの頃の哀しい本気を、いつか誰かが愛おしく笑ってくれる。そう思うととても救われる。
「ぼく」はだんだん大人になる。愛情を注いだ相手が離れていくのは、嬉しいけれど寂しい気持ちにさせられる。私の母も同じだったろうか。そして、いけちゃんは姿を消す……母が亡くなるときのことを想像して、思わず胸がつまる。人は生きていく中でいろんなものを失っていくんだ。子どもの頃の本気も、大切な人や時間も、すべて永遠ではない。
だけど、縁のある相手とは生まれ変わってまた会うことができる。いけちゃんと「ぼく」のように。この絵本には、どこかしら輪廻を感じる。
ぼくは自分でちゃんときめてうまれて
自分でちゃんときめて死んでいる
何回も何回もたのしんでいる
ある日、熱にうなされた「ぼく」は、死ぬときの夢をみる。そして大切なことを思い出したのだ。
私はハッとする。きっとそうだ、全ては偶然じゃない。「この人の子どもになりたい」と思って親を選び、好きだった人と今世でも巡り会っている。そして、相手が私を受け入れてくれたと思うと、感謝の気持ちで抱きしめたくなる。
別れを告げるいけちゃんは、幸せそうな笑顔を見せた。いつか訪れる私の大切な人との別れも、いけちゃんの表情を思い出せば、暖かく受け入れられるかもしれない。