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「からすのパンやさん」による種、周期表という芽【共有】
「からすのパンやさん」:かこ さとし作・絵 偕成社より1973年に発売。
私より30歳年上の絵本が、今の私を作っている、かもしれない。
「からすのパンやさん」という絵本が、今でも好きでたまらない。
以前、バイト先の友達と帰路の最中、絵本の話になった。
「ぐりとぐら」、「はらぺこあおむし」など今もなお有名なベストセラーの名前が出ては、お互い懐かしんでいた最中、私が
「でも結局俺、からすのパンやさん、あれが一番好きなんだよな~」
とつぶやいたところ、その友達はきょとんとした顔をしていた。
あれっ。伝わんないのか…?「からすのパンやさん」が…と同世代間でのカルチャーショックを受けたのは今でも覚えている。
本書を読んだことのない人のために、簡単なあらすじを。
森の中でパン屋を営むカラスの夫婦。ある日4匹のカラスの赤ちゃんが生まれました。その赤ちゃんは体の色が、茶、白、黄、赤だったので、それぞれ、「チョコちゃん」、「おもちちゃん」、「れもんちゃん」、「いちごちゃん」と名付け、子育てに奮闘しながらも、最終的にはパン屋は大繁盛!という流れで物語が進んでいく。
パンを3つ買う人は茶色の風車、パンを買わず見物だけの人は白い風車へ…なんて誘導するシーンがある。読んだことある人は分かるでしょう。お父さんカラス、機転が利くねぇ~、なんて当時読み聞かせを聞いていた私は、子供ながら感じていた気がする。
「あのシーン」と周期表
からすのパンやさんと言えば、あの様々な形のパンが見開きページいっぱいに描かれているあのシーンを思い出す人は多いと思う。象、飛行機、かなづち、、、無機物有機物関係なしに、とにかくいろんな姿をしたパンが出てくるシーンだ。
私が読み聞かせを聞いていた頃、からすのパンやさんを読んでもらう時はいつも母親に、○○パン、○○パン、○○パン、、、とページの右から左まで順に読んでもらい、読み終わったら私は必ず、「もっかい。」と。もう一回読み終わったら、「もっかい。」…と母親の根気が折れるまで読んでもらっていた。今考えると大分鬼畜の所業だなと思うが、それでも読んでくれた母親の偉大さに今更ながら感じる。
それから月日は流れ、中学1年生の頃。担任が理科の先生だったので、掃除の時間、自分が居たクラスは自教室と第一、第二理科室を3つの班に分かれて掃除していた。
理科室には周期表のポスターが貼ってあった。中学では周期表をがっつる使った問題は出ないが、高校接続的な教材として貼っていたのだろう。
そのポスターは少し特殊で、ただのアルファベットの羅列ではなく、物質の名前と、その物質が実際にどんな用途で使われているか、を示す写真がのっかっていた。(例えばNe、ネオンならばネオンライト、Hg、水銀ならば水銀温度計、といった具合)
その特殊な周期表ポスターを見た中坊の私は、
「コレ『からすのパンやさん』みたいじゃん!おもしれー!!」
と感じた。この感覚は今でもしっかりと思い出せる。昔の記憶の中では割と鮮明な方だ、という謎の自負があるくらい。
金属のもの、気体のもの、それ以外。そんな風に分けられ、規則正しく並べられている。その姿はまさに、あの見開きページとリンクしたのである。
心理学的に言えば、この現象が「スキーマ」なんだろうか。
この一連の連想ゲームがきっかけで、自分は無意識下で、いろんなパンが並ぶ壮観と周期表を重ね、それが自分を化学の道に進める一歩目になったのかもしれない。
意外な種から芽が生える。
この一連の話で何が言いたかったか、と言うのはこの上の一文に尽きる。
一見繋がりようがなさそうな物同士が結びつき、思いもよらぬ化学反応が起こることがある。「考える葦」たる人間だからこそできる芸当だろう。
「広く浅く」な趣味はあまり好かれないらしいけれど、時には雑食にいろんな文化や作品を味わってみるのも悪くないのかもしれない。
最後に、もしこの拙い文章を読んでくれた子育て中の方が居たら、一つだけ言いたいことがあります。
子どもが「もっかい」ってねだったら、気力が許す限りリピート再生してあげてください。もしかしたらその読み聞かせは、どこか知らない土壌で芽を出すかもしれませんから。