インターネットの書き込みと免許制
以前、オーストラリアで16歳未満のSNS利用を禁止する法案が可決された件について綴った。
これはこれで興味深い事案ではあるが、ひとつ気になる点を挙げるとすれば、年齢を基準にしているところだ。
たとえば、思慮深く他者とやり取りする際の礼儀を弁えている10歳と、やたら喧嘩腰で陰謀論や対立煽りにホイホイ乗せられてしまう50歳がいたとして、ネット上からいなくなってほしいのはどちらかといえば、まあ後者だろう。
つまり、インターネットの利用に対する資格を考えた場合、必ずしも年齢は妥当な基準にはならないということである。
だとするなら、年齢で利用を禁ずるのではなく、老若男女を問わず受けられる免許試験を設け、それに合格した者だけがインターネット上での書き込みをできるようにするのがいいのではないかとも思える。
交通網が運転免許によって利用可能になるように、通信網はネット免許によって利用可能とするわけだ。
ポイントは、ネット利用のなかでも免許の対象を書き込みに限定するところである。ネットの利用形態は大きく「閲覧」と「書き込み」に分けられるが、あくまでも制限するのは後者のみということだ。
いくら短慮かつ非礼で侮辱とハラスメントの申し子みたいな人間がいたとしても、閲覧にとどまる限り何も害悪な結果は生じない。そのような人間が書き込みや投稿をするから悪い影響が及ぶのだ。
自分の考えや意見などを書き込みたいなら礼節やマナー、適切な知識を備えてからにせよ、というシステムを求めることは、決して不自然な発想ではないだろう。
ネット上に渦巻く対立、争い、敵意、デマなどを見るにつけ、書き込みだけでも免許制にならないものかと思う。
ただ問題は、クリーンで公正な試験運営ができるのか、適切な試験内容を考案できるのかという点だ。利権が絡んだり有名無実の試験になったりしては意味がない。
「不適切な書き込みをしない人物」かどうかを的確に判定できる問題とはどのようなものか。考えてみるとけっこう難しい気もする。