良いものは薦めたいが、良すぎると伏せたくなる
良いと思ったものは他者に紹介して広めたくなる。大抵のものは広まって知名度を獲得することがプラスに働くので、応援の意味でもお薦めするのはいいことだろう。
そうしてお薦めしたものが相手にも喜んでもらえると、それもまた嬉しく感じられる。良いものを薦めたり薦められたりするのは好循環を生み、互いに知見が広がるため、積極的にやっていくのがいい。
ただ、それはあくまで「良いもの」の範疇だった場合の話だ。自分にとって「良すぎるもの」は、逆に誰へも教えず伏せておきたくなる。
理由は3つ。
① 他人に教えるのが惜しくなり、自分だけが知っていたくなるから
② 個人に深く刺さるものは、一般受けから遠ざかる傾向にあるから
③ 刺さったものは、良さが共有できないときの落胆が大きくなるから
「良い」を通り越して「良すぎる」のレベルになると、個人の体験とシンクロするなど、内面に深く関わって心を揺さぶることも少なくない。
そうなると、その良さが否定されたときのダメージも大きくなる。対象物の良さと一定の距離を取れない場合、良さの否定が人格の否定に近くなるわけだ。なので、おいそれと紹介できない。
本当に大切なものはむやみにひけらかすものではなく、大切にしまっておくべきだ、なんて言われる。何かを「ものすごく良いと感じる思い」もそうなのかも知れない。
心の奥底まで入り込む素晴らしいものが、時にまったく世間一般に知られていないことがあるのは、ファンのひとりひとりがしまっておきたいと思うからじゃないだろうか。
共有や紹介する楽しみもある一方で、密やかに楽しまれているようなものを探し、見つけ出すのも、人生の味わい方なんだと思う。