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SNSから16歳未満の利用者が消えたら
オーストラリアで16歳未満のSNS利用を禁止する法案が可決された件。
まだ成立はしていないものの、このままだと成立する見通しだ。
これについて、法案可決の背景から、法案が成立したとしてその実効性があるかないかという疑問、日本でも導入してはどうかといった意見まで、さまざまな反応が見られた。
個人的に気になるのは、やはり実効性の有無と、仮に100%禁止できたとしてオーストラリアのこれから生まれてくる子供たちがどのように成長するのか、という点だ。
まず実効性に関していうなら、これは厳しいんじゃないかなと。それこそアメリカの禁酒法じゃないけれど、禁じられたらアンダーグラウンドに潜るのが歴史の常だったし、ましてやパソコン・情報通信技術関係なんて年齢に関係なく、凄腕の技術さえ身に着ければいくらでも禁止網を潜り抜けることなんてできそうだ。
なので、よほどガチガチに固めない限り、みんな陰でこっそりSNSをやるんじゃない? という感じである。
次に興味があるのは、仮に禁止を徹底できた場合だ。今の16歳未満は当然ながらすでにSNSの洗礼を受けているわけだから、その便利さや中毒性を強く感じている者ほど禁止に反対するだろう。
けれども、今の1~2歳や、これから生まれてくる子供は、最初からSNSに触れずに15歳まで育つのであり、たぶん全然異なる感性や感覚をもつことになるはずだ。使ったことがないなら、どれだけ便利かもわからないからである。
そうした、いわば”人造SNS非ネイティブ”世代が成長し、彼ら彼女らのほうが能力や人格が圧倒的に優れていたら……ということを、わたしは想像してしまう。それこそかつてのSFによく見られた、旧人類と新人類の断絶のような状態が現れるんじゃないか。
たとえば、SNSにどっぷり浸かってきた今の15歳が30歳になった時、SNSを使い始めた非ネイティブ世代と比較される土台が整う。高校生と若手を脱却し始めた社会人くらいの位置づけだ。ここで初めて政策の結果が判明しだすわけで、壮大な社会実験でもある。
個人的には「利用を禁止する」という方向での措置は自由を阻害するものであり、あまり好きではないのだが、一部のネットやSNSについていえば、若年者に対する禁止は心情的な抵抗感が薄めだ。
というのは、未成熟なうちからSNSの濃い刺激に晒されることでかえって自由が失われているように感じるからである。なんでもできる、ということは必ずしも自由であることを意味しない。
他方、そうはいっても禁止が情報処理世界への適応を遅らせるのではないかという問題もあるので、一律禁止が適当なのかとも思う。
いずれにせよ、どうなるか今後の推移が興味深いところだ。
案外、「禁じられたら燃え上がる」理論で、オーストラリアにはめちゃくちゃ優秀なハッカーやらクラッカーやらが若い世代に続々と出てくるのかも知れない。