高評価と低評価の口コミを見て思った
旅行するにあたって、宿泊予定のホテルの口コミを眺めた。☆5から☆1まで幅広い評価とコメントがレビューサイトに連なっていたのだが、見事にコメント内容が分かれているのである。
とりあえず圧倒的に☆5の数が多く、☆2や☆1は少なかったので、総合的には良いホテルだと思っていいのだろうが、コメントの内容はわりと正反対で、それが不思議だった。
「食事の量が多い/少ない」「手の込んだ料理が多い/出来合いの料理が多い」「大浴場がきれい/汚い」「スタッフが親切/不愛想」といった具合である。
それぞれの理由に説明を付けることは可能だ。たとえば少食の人から見れば食事量は多く、大食らいから見れば少ない。手の込んだ料理かどうかの判断基準の違い。たまたま大浴場が汚れていて清掃が間に合っていなかった。親切なスタッフと不愛想なスタッフの両方がいる。――などなど。
ただ、同じホテルに泊まっていても、こうも宿泊体験が違うとなると、人それぞれで生きている世界は本当に違うんだなと思わせられる。
事実に対してどのような受け取り方をするかは違うにせよ、基本は皆、旅行へは楽しむ目的(落ち着く・安らぐなどを含む)で行っているはずだ。それなのに、最高だという人もいればブチ切れている人もいる。
口コミでは、他の施設に対しても厳しい言葉ばかりを連ねていて、あたかも「この自分から☆2以上を引き出したら大したもんですよ」と言わんばかりのレビュアーも見かけた。
そうしたご本人は要求水準の高い、見る目のある存在だと自認しているのかも知れない。しかし、わたしという第三者からは、不幸になるためにあちこちへ行っているようにしか見えなかった。なにせ他の人が絶賛しているような施設にも、ほぼ文句しか書かれていないのだ。
どうせ生きる世界が違うなら、行くところ行くところ常に大満足の☆5であるような、そんな世界で生きていきたい。そんなことを思った。