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お子様ランチ(短編小説・秘書と専務シリーズ1)
【あらすじ】
秘書×専務シリーズ1。幼馴染。ブロマンス風味。お気軽会話劇コメディ。
ビルの高層階の一室で物思いにふける一人の男。別れた元恋人から連絡があり、昔のことを思い出していた。男は自分の秘書を呼び、その当時食べた想いでのものを用意させる。
高層ビルの上階。はめ殺しの大きな窓から見えるのは空とコンクリートの森ばかりで、喧噪は聞こえてこない。静かな部屋だった。そんな景色を眺めながら、男は神妙な顔で呟いた。
「あれをもう一度食べたい」
「は」
返事をしたのは、男の秘書である。秘書でもあり、男の子供の頃からのお守り役。もといお目付け役でもある。
「あれ、とは何でしょうか」
至極当然とも言える質問をした。
「名前が出てこない」
男はすぐにそう返した。
「……」
名前が出てこないのでは、何かを探しようがない。だが秘書はその事は口に出さなかった。
「あれだ、あの思い出のやつ」
男は思い出そうと手をしきり動かしているが、どうにも名前が出てこないようだ。
「名前が分からなくても、どういったものか説明いただければ分かるかと」
秘書の言葉に、男はそうだな、と頷いた。
「一つの皿の上に、色々乗っていた。ピラフとか、とんかつとか、あとスパゲッティもあった気がする」
秘書は頷いた。
「分かりました。本日のランチでご用意できるかと思います」
「本当か! さすが榊だ」
男は興奮気味に鼻息を荒くした。
秘書は眼鏡をくいと指で押し上げた。
「ご期待ください」
そう言うと、すぐにきびすを返して部屋を出て行った。
思い出の味。長崎でのことだ。あれは眼鏡橋の近くだった。道路沿いの店。階段を上ったところにある小さな店。彼女が言った。
「有名なお店なんだって」
ちょうどオープン前だったので、並ばずにすぐに店に入れた。そこで食べた思い出の味。
なぜ急に思い出したのか。その彼女から今朝連絡が来たのだ。結婚することになりました、と。もちろん相手は自分ではない。
どういうわけか、男はすぐに女性に振られる。金もある。容姿も悪くないと思う。仕事も、肩書も立派なものだ。なのに、すぐに振られる。長崎に旅行に行った彼女には、その一か月後に振られた。
それで思い出したのは、あの味だった。ボリュームもあって、庶民的で美味しかった。
確かに今でこそ失恋の味だが、当時の甘い感覚を思い出した。思い出すぐらいは自由だ。別に未練があるわけではない。ただもう一度食べたいなと思った。わざわざ長崎に行っても良かったが、ここで食べられるのならばそれに越したことはない。
すぐに何かわかった榊はさすがだ。伊達に何年も一緒にすごしていない。男は今日のランチを想像して思わずにやけた。
そうだ、あれは確かトルコライスという名前だった。しばらくして思い出した。だがすでに何かわかっている榊には伝える必要はないと判断した。
昼時になり、一度席を外して榊が戻ってきた。今日のランチを持ってきてくれたのだ。
男は楽しみで仕方なかった。またあの味が食べられるのだ。期待に胸が膨らんだ。
「用意できたか!」
男は興奮気味に言った。
「はい、思い出の味、ご用意致しました」
秘書は仰々しく両手に捧げていたものをテーブルの上に降ろした。
「トルコライス!」
「お子様ランチでございます」
「……」
「……」
男は固まった。
「榊」
男は気持ちを落ち着けるように、ふうと大きく一つ息を吐いた。
「何でございましょう」
秘書は淡々と答える。
「間違いじゃなければ、今榊は『お子様ランチ』と言わなかったか?」
「いいえ、言っておりません」
「いや、言った。はっきり言った。お子様ランチって聞こえたぞ」
「こちらは、専務ご所望のトルコライスでございます」
榊は表情を変えずに答える。男は秘書を睨んだ。秘書は相変わらず涼しい顔をしている。
男はテーブルの上に置かれた皿を見つめた。リクエスト通り、ピラフ、とんかつ、ナポリタン、それにエビフライまでついている。そこまではいい。
「榊、一つ聞いてもいいだろうか」
「はい、何でしょうか」
「この皿は何なんだ」
男は料理が乗っている皿をこれ、と指差した。
「新幹線でございます」
「……そうだな、確かに新幹線の形の皿だ。それは俺も見たら分かる」
分かった上で聞いたんだ、と男は続けた。
「どういうつもりで、この皿に盛ったんだ」
「お気に召しませんでしたか。失礼致しました。やはりアンパンマンの方がお好きでしたか」
男にとって、アンパンマンでも新幹線でもどっちでも変わらない。そういう問題ではない。
「榊、この料理はなんだ」
「トルコライスでございます」
「いや、絶対嘘だよな。お前さっき『お子様ランチ』ってはっきり言ったよな。これ明らかにお子様ランチ用のプレートだよな。プラスチック製の、子供が落としても大丈夫なやつ。しかもデザートに小さいプリンもついてるな。
なんで大の大人がオフィスでお子様ランチを食べなくちゃいけないんだ。しかもこんな可愛らしい皿で」
男は一息でそこまで言うと、怒りを鎮めるようにまた大きく深呼吸して秘書の名前を呼んだ。
「榊」
男はわなわなと手を震わせている。
そこで、秘書は、ハッと気づく。
「失礼致しました。大事なものを忘れておりました」
そう言うと、秘書は懐からペーパーに包んでいたものを取り出し、ピラフの上に突き刺した。
「一番大切なものを忘れておりました」
「なんだこれは」
「旗でございます」
「はた……」
爪楊枝の上に、小さな国旗が取り付けられている。それは確かに旗だった。
「やはり、お子様ランチに旗はつきものでございます」
秘書はにっこりと微笑んだ。
「クビだー!」
専務室の隣の秘書室にまで、その声は響いてきた。
昼食をとりながら、そこで働く女性秘書の二人はため息をついた。
「あーあ、まただよ」
「榊さん好きだよね、専務からかうの」
「もはや趣味でしょ、あれは」
いつもの事だと二人は大して気にしてもいない。どうせあんなことを言っていたって、榊の事はクビにできないのだ。そもそも専務にそんな権限はない。榊を直接雇っているのは、その上、専務の父であり代表取締役社長だ。榊は、その社長のお気に入りでもある。頭脳明晰であり、状況判断能力も高い。他の人間と違って、様々な方面での対応力もある。その彼の唯一の悪癖が、幼馴染の専務をからかう事だった。
「あの皿、わざわざ探してきたんでしょ」
「みたいだね。なんか、もう潰れたデパートのレストランで使われてたのと同じものだって」
「ふーん。なんかあるのかな?」
「さあねー。でもその皿見た時、榊さんちょっと嬉しそうな顔してたよ」
「え、珍し~。じゃあ、思い出ってのはあながち間違いではないのかな」
「かもね。どうでもいいけど」
それきり、二人の話は最近のドラマやコスメの話題に戻った。
専務室では、渋々男がお子様ランチを口にしていた。
「お味はどうですか」
秘書がお茶を入れながら訪ねる。
「……美味しい」
「それは何よりです」
「あと、懐かしい」
秘書の手が止まった。
「昔、デパートのレストランでお前と一緒に食べた。あの味に似てる」
男は照れ臭いのを隠すように、黙々と食べ続けた。
「それは、何よりです」
秘書は男にお茶と出すと、またにっこりと微笑んだ。