『粛々と運針』
2021/03/25 @「劇」小劇場
ひさびさプロの劇を観た。面白かった。3/28(日)まで下北沢でやってるのでぜひ。4/1(木)以降、映像配信の情報も公開されるそうなのでぜひ。
予想外の妊娠を受けて中絶するか揉める夫婦と、母親の尊厳死を認めるか揉める兄弟と。テーマ自体はけっこう重めなんだけど、アップテンポで息苦しさを感じない。客入れ『部屋とワイシャツと私』なの笑った。
舞台の使い方も面白い。屋根も壁も透明な家に、透明な椅子が6つ。四隅に置かれているものと、中央で向かい合うものと。壁伝いに透明なペットボトルが並び、透明なバランスボールもある。序盤は2人×3ペアの会話劇だが、これら別個の空間が、やがて鮮やかにクロスする。
産む産まないの選択は、キャリア形成やワークライフバランスといった問題だけに留まらない。子を宿すことは私の身体が私だけのものでなくなることを意味し、「良いお母さん」になることは私の人生が私だけのものでなくなることを意味する。中絶問題は考えるたびにディックの「人間以前」を思い出す。【どこからが人間か】?
寿命前に切り倒される桜の樹が、尊厳死のメタファーとして用いられていた。ちょうど昨日お会いした人の、桜の話を思い出す。子曰く、桜は満開を迎える前なら、雨が降ろうと風が吹こうと散らないそうだ。必ず咲き切ってから散る。それを知る前は、桜がこわかった。おそらく梶井基次郎「桜の樹の下には」などの影響で、桜には吸い込まれるような狂わされるような、死のイメージが伴うところがあった。けどでも、そんなに必死に生きていたのかと。七分咲きなんぞで散ってたまるかという、生物としての根性を見て、桜が好きになったと云う。
終演後に気付く。夫婦と兄弟、揉める4人のやりとりは、舞台前方に置かれたミニチュアの仏と救急車に見守られている。これは舞台後方で4人を見守る、子どもと母親の化身か。生命の根源に近い場所にいる彼女らは、時を刻むように「粛々と運針」する。【時間を縫う】という光景は、Michael Longleyの詩を思わせた。
“The Quilt by Michael Longley” POETRY FOUNDATION Accessed March 25, 2021.
https://www.poetryfoundation.org/poetrymagazine/browse?volume=167&issue=1&page=70
“The Design by Michael Longley” POETRY FOUNDATION Accessed March 25, 2021.
https://www.poetryfoundation.org/poetrymagazine/browse?volume=167&issue=1&page=71