『ほんやのねこ』
2022/03/18
ヒグチユウコ,2018,白泉社.
川上弘美『パスタマシーンの幽霊』を読み返したいと思って、しかし実家に置いてあるから近所の図書館に寄ってみた。『ざらざら』はあったけどこちらはなくて、かなしい、帰ろう…と思った時に見かけたヒグチさん。
先日衝動買いした、というか先輩に唆されて買ったLINEスタンプに出てくるキャラクターがこぞって登場していて、元ネタこの本だったのね〜と思いながらその場で読んだ。小さい頃に憧れたものぜんぶ、妖しく愛おしい生き物たちの息遣いにのせて。
『せかちいちのねこ』『いらないねこ』と合わせた三部作と聞いて他も読みたくなったけど、図書館にはこの一冊と『すきになったら』しかなかった。これらは単行本だけど『すきになったら』は大判の絵本。ほんとにほんとにすてきだよ。だいすき。
小説や児童書より文字が少ないから1ページ1ページ彩り豊かでキラキラしてる。絵本よりもしっかりと厚みがあるので物語の小箱、宝石箱みたいで開いてめくるだけでたのしい。どきどきする。こんなふうに魅力的な本があれば、大人になっても社会に回収されず今いる場所・昔いた場所に戻ってこられる気がする。
道しるべっていうと一方向的で不可逆的な道を行くようだけど、絵本や童話は道しるべじゃなくてなんだろう。灯台とかかな。周遊して循環して「ちゅうがえり」しながら、何度でも帰ってくればいい。
「どうぶつかいぎ展」や『怪物園』のところで少し書いた、この世とあの世、リアルとフィクションの越境の話をさっきから書いている。書きながら、帰る場所・戻る場所・本来帰属している場所って実際どっち?って自分でもわからなくなってるなって気づいたけど、片方がかりそめ・まやかしで片方が本物だというものでもなさそう。自分の家と実家を行き来する時、どっち向きに「帰る」って言葉を使うかみたいな話。昔はかたくなに「東京に帰るとは言わんぞ」って拘っていたけど、もしこうやって考えていくならどっち向きにも「帰る」と言っていいような気がする。
社会人になってどこか素敵なお部屋に住めたら三冊まとめて飾ろうかな。という夢にかこつけて、今すぐ買うのはがまんする。