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高校3年生の秋に偏差値42、だけど現役で上智大学に受かった話。

 この記事は、今高校生の人にあこがれの志望校を簡単に諦めてほしくないから書きます。
 サマリー書いておいたので読むのが面倒な人はそれ読んでください。

【サマリー】


 高3の秋まで勉強していなかったけど日本史を中心に頑張ったおかげで現役で明治学院大学文学部英文学科に合格。その後歴史を勉強したい気持ちが抑えられず、塾講師のインターンで培ったAOの知識と英文学科で培った英語力を武器に3年次編入で上智大学文学部史学科を受験し合格。
憧れを持ち続けて頑張れば叶うこともあるので、どんな動機でもどんなに単純な気持ちでも、それを持ち続けて頑張ってほしいっていう話。

【受験を志すまで】

 北海道でのびのび育った高校3年生の夏までの私はまず勉強をした記憶がなく、テストではほとんどの科目の順位が下位1/3。地学とか歴史とか、特に苦手な科目は下から2番目、みたいなことがよくあった。勉強は嫌いだし、夏は暑くて冬は寒いので学校に行きたくなくて、週に2~3回しか学校に行かないときがほとんどの高校生活を送っていた。

 大学のことはすごく楽観的に考えていて、「明治とか行きたいな~」なんて、適当に考えていた。数学の模試2点しか取ったことないのに。

 あまりにも適当に考えすぎかつ無謀すぎて、先生が明治学院大学を勧めてくれた。今は全然無理だけどここならいけるのではと。

 高校3年生の夏の終わりになって、指定校推薦の一覧が届いたときに明治学院大学の名前があった。勉強が嫌いだから、当然それを使いたかった。

 だけど、テストの点数も悪いし、欠席が多い私は当然成績が足りず、AO入試も受けられないほどの成績だったので、一般入試を受けざるを得なかった。今の状態で行けないとわかってしまうと、なんだかどうしても明治学院大学に行きたくなった。もうそこはめちゃくちゃあこがれの的だった。絶対に受かってやると闘志が燃えた。
秋、ここで私の受験生生活が始まる。(おそすぎ)

【勉強の手順-大学入試】

 まず手を付けたのは日本史。
歴史の先生のところに毎日通って、縄文時代から順番に教えてもらった。その先生はもともと歴史探究(受験で日本史使う人用の授業)を担当していて、そこでもらったのが140ページにまとめられた全時代の解説プリントだった。それを使いつつ、わかりやすく説明してもらった。家に帰って復習をしつつ、その範囲の問題集を解いた。
11月にウイニングコンパスという問題集を導入。そこからめきめき成績が上がっていった。最終的にウイニングコンパスは11周して、センター試験本番は90点くらい取れた。明学の一般入試は自己採点94点くらいだった。

 なんでこんなに頑張れたかというと、この先生の教え方がわかりやすかったのと、8歳差だったからお兄ちゃんみたいで先生としてすごく好きだったから。毎日話したくて、わざわざ質問をつくって放課後聞きに行ってた。笑
そして、勉強するうちに日本史の魅力に気づいたから。受験日を迎えるころにはもう、日本史のことが大好きになっていた。

 日本史の次にやったのは英語。
12月に本格的に始めた。もう何をやってたか覚えていないくらいあんまりやらなかった記憶しかないけど、当時高1レベルの単語もわからなかったからとりあえずシス単をやってわかる単語を増やして、長文に慣れる、という作業をしていた。
調子がとてもいいときは8割くらい取れるようになったけど、結局センター本番は138点くらいだった。
表面的な勉強すぎるせいで、副詞はlyとか分詞とか、大学2年生でTOEICの勉強をしたときにはじめて知ったくらいボロボロな状態だった。(それでも英検2級は取れた)

最後に手を付けたのは現代文と古文。
古文単語を詰め込んだのは1月。12月半ばから1か月で315単語覚えて、短文の古文テキストを使った。それまで模試0点が何回かあったけど、過去問8割以上で安定するようになった。結局友達に言われた一言でスランプになり、本番は半分くらいしか取れなかった。笑
現代文はPASSLABOっていうYouTubeの動画を見たら一気に解き方がわかって、これも安定して高得点をとれるようになった。なんとなく解くんじゃなくて、システマティックに解くのね、ということがわかれば現代文は余裕だってわかった。

【合格】

 そんな感じで4か月くらいで偏差値を15くらい上げて、明治学院大学文学部英文学科に合格した。わくわくした。

英文学科を選んだのはなんとなく。しいて言えば、英文学科に入っておけば、苦手な英語もぺらぺらになっているんじゃないかという淡い期待があったから。

 でも苦手な英語はやっぱり苦手なままで、週10コマある英語の授業にたくさん苦しめられて、何も楽しくなかった。
3,4年生で楽したかったから、単位はフル単近く取っていた。

【編入のきっかけ】

 大学2年生の5月、友達とTOEICを受けようという話になって、受けることにしたけど、指標がないと頑張れないタイプなので、何か頑張る目的が欲しかった。
 
 ここで転機。インスタのリールで編入の存在を知った。
そんなことできるのかと思って応募資格を見てみたら、TOEICの点数が基準に入っていた。

 好きな日本史を勉強できないのがつらい、日本史を勉強したいという思いと、当時やっていた塾講師のインターン内の大部分が東大東工大早慶でなんとなく学歴コンプレックスができてしまったのと、苦手な英語から逃げたいという思いと、TOEICを頑張る目的にしたいという理由で編入を決意する。

 上智大学にしたのは史学科に編入できる大学で偏差値が1番高かったから。MARCHはワンランク上だけど、それなら編入しなくていいかと思って、上智大学だけに出願した。

【勉強の手順-編入】

 TOEICは5月から7月に560→720に上げて、志望理由書、学業計画書は7月になんとなく考えつつ8月に書き始め、9月下旬に出願。
11月28日くらいにあった本番に向けて、筆記試験対策は11月から始めた。(内容はいつかのnoteで書くかも)

 当時バイトもやっていたので、バイトとインターンと大学を同時進行しながら編入試験の準備をしていたら、キャパオーバーになって10月くらいに抑うつになってしまった。
勉強ができない日もあったし、情報が全然ないし、過去問の存在も知らなくて無謀だとしか思えなかった。

 当日。
絶対に受からないだろうとずっと考えていたので、行くかどうか迷った。
せっかく受験料はらったしなあ、と思って重い腰を上げて行った。

 筆記試験は高校生のときにのめり込むように日本史を勉強したので、よく解けた。世界史の部分も論述はできた。

面接は感触的にダメダメだった。
だから絶対受からないだろうと思った。

 だけど受かった。

【受かったポイント】

 今思い返してみれば受験する際に運がよかったポイントがいくつかあるので、紹介しようかな。

①そのときたまたま塾でAO入試を担当できる人が少なく、担当できるよう研修を受けていたので志望理由書、学業計画書のノウハウがなんとなくわかった
②AO講師の同期や先輩に何度も見てもらって、精度を上げることができた
③当時やっていたマッチングアプリでたまたま同じジャンルを勉強している4年の慶応生と会えて、志望理由書と学業計画書をめちゃくちゃ添削してもらい、土台ができた。(彼の周りは院進する人が多くて、間近でたくさんの志望理由書を見ていたらしい) ←多分これがなかったら受かっていない
④英文学科だったので長文には慣れており、TOEIC対策がスムーズにできた
⑤世界史は中田敦彦のYouTube大学で勉強していたけど、たまたまそこで話していたことが論述で使えた
⑥なんとなくフル単を目指してきちんと単位を取っていた

【最後に】

 そんな感じで合格して、再々履が決まった英語学とおさらばして、明治学院大学を中退。
今は訳あって日本史ではなく西洋近現代史専攻。
周りにレベルの高さに心が折れながらではあるけど、
とてもとても、楽しくて充実している。

 だから、今どんなに無謀と思えても、諦めないでね。
先生でもYouTubeでもいいから助けてくれる人を全力で探して、
全力で縋って、全力で頑張ってね。

憧れはものすごい原動力になります。
そして、動機なんて単純でいいんです。
手段を選びつつ、自分に最適な頑張り方で努力してみてね。
憧れに届きますように。