東京10年 過疎10年 東京は愛せどなんにも無い
東京で10年ほど暮らした。
TOKYOに憧れTOKYOらしい暮らしをしていたんじゃないかなと思う。
学生時代は渋谷のカフェで働き、アパレルや音楽業界の人たちと遊び、映像IT、サブカルチャーの業界で働いた。青山、代官山、下北沢、三軒茶屋、自由が丘そんな空気を感じれる場所にいてとても楽しかった。
しかし、上京2年目に努めていたカフェのオーナーから言われた言葉がずっと胸に残っていた。そのオーナーは九州から上京し、当時流行ったアパレルブランドのデザイナーをしていた。そして、ゲイでもある。感性が素晴らしい。時代も時代だけあって、地方では自分らしく生きることはできなかったのだと思う。上京して30年近くずーっと東京で生活をしている。
そんな、オーナーが2年目の私に 客の少ない深夜のカフェの店内で話してくれた。
「東京はね、いろんな人がいるのよ、
私みたいなのや、夢に憧れて夢を追いかけ続けている人とか。
東京でしか生きていけないのよ。
けどね、あんたは東京だけでしか生きれない人間になっちゃだめよ。
東京でも生きていける人間になりなさい。
まぁとにかく若いうちは馬車馬のように働くことね」
少し皮肉屋ででもとても愛情深いがシャイなオーナーの言葉はとてもピュアで的確でとても心に残った。
その後の東京の生活で、テレビや映画、音楽業界の人たちと仕事をする機会が多かった。彼らは、やれ誰々と知り合いだ!とか、こういう物を持っているだとか。虚構とまではいかないがそういった、人の見得や虚栄をいい大人達がこぞって競っている姿に、なかなか馴染めず、いつしかこのオーナーの言葉が反芻した。
10年目僕は東京を離れた。
2010年インターネットも日本のあらゆる場所に網羅され、かつ、Amazonもある程度の田舎までも網羅された頃。
学生時代も大都市圏近郊の地方都市で暮らし、母や父もその地方都市の出身でおじいさんの故郷である高知の田舎は父の時代に墓も移し田舎がない世代。
どこでも生きていける人間
「果たして田舎で生きていけるのだろうか?」
ちょっとした田舎コンプレックスもあり30歳を迎える年、標高800m(スカイツリーより高い)山間部にある人口3000人ほどの、自然と信仰ともに1200年続く小さな町で暮らすことにした。
地域再生やクラウドファウンディングなんていう言葉がまだ一般化していない頃、IT業界から地方再生というある意味最先端の業界なのではと感じながら、ちょっと軟派な世界にいた私には、社会貢献や環境やボランティアなんていうものには造詣はなく、どちらかというと怪しいと思っていた世界だったか、実際の田舎での生活やそこで暮らす人、そこに関わる人を知ることができた。
超過疎、中型都市、大都会というものを体験し、それぞれの社会構造を理解し、課題と価値がわかったような気がして、おそらく僕はどこでも生きていける人間になったような気がする。
そういった過疎の地域とふれあい関わり、また10年が経った。
椎名林檎が2000年に歌った「東京は愛せどなんにも無い」という虚無感を同じく感じた僕だが、一周回って何にもない東京に寄り、寂しさを感じる人達こそ救われるべきなのではと思う。
田舎の人達はある程度選び、覚悟し、満たされている人が多い。周りが勝手に可愛そうだと思っている部分が多分にある。
さぁ 僕はこれからどこで生きていくか。答えがまだ出ない。
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