素直? コレ面白いよに乗っかれるか

 よく人にこの本面白いよとかこの映画良かったよとか言われると思う。

男性と女性で感じ方が違うので、男性だといやそのジャンルだとこっちだよ!と競争してしまうし、女性だとへーそういうの好きだわーと共感する。

そんな初期反応に違いはあれど、実際その本なんかを読むことは少ない。おそらく100人に面白いよって伝えてわざわざ手に入れて読んでくれるのは10人程度じゃないだろうか。影響力やのある人やその人との関係性が濃い場合は別だけど。

で更にちゃんとその面白いを体験してきっちりフィードバックできる人なんてさらに半分程度。結局人の面白いって自分の面白いと違うという価値観で否定的になるんだと思う。

しかし、私はできるだけ心がける。

特に面白いですよって後輩や子供が言ったものはすごく素直に超スピードで読んで、さらにそれを楽しめたポイントをフィードバックしてあげる。

そうすると、え?そんなに早く私のおすすめを読んでくれたの?っていう感覚で好意的になってくれるのだ。その人との距離を近づけるために時間を投資したわけであり、またそこに打算だけでなく、自分とは違う価値観をしれるきっかけであると感じながら読むようにしている。

実際読んでつまらない事やどうなんだろう?って思ってもその人が他人に伝えたい感動があったわけで、実際に面白くなかったら何故そんなに面白いの?っていうポイントを聞くようにしている。

そこで自分の価値観と相手の価値観の相違をお互い認識できればそこはお互いをしれた良い機会になるからだ。

いま中学生の甥に勉強を教える機会がある。

その上で数ヶ月前に下準備として今何がおもしろいのかを聞いた。

鬼滅の刃、第五人格など教えてもらい即座にすべて読んで、面白かったポイントを返した。そして自分の好きな漫画とゲームを伝えた。

しかし彼は読みもしないししもしない。

ここで等価交換の法則がある。

人にされた分同じだけ返さないと少し後ろめたい気持ちになるものだ。

結局私のすすめるものに重い腰を動かせなかったが私はあなたの声に反応したよという事実。その事を貸しにした。

そして勉強をしようとなった時。

「君の好きは聞いたしなぜ面白いのかを共有した、しかし僕の好きはしてくれなかった。それってフェアじゃないよね?さらにゲームすること、アニメを見ることの面白さは尊重できるし、その時間を大切にしてあげたいから、勉強するという事に少し腰を上げてくれてもいいんじゃないかな?」

こう言うと「そうだと思う」と。

ちょっとしたことなんだけど、こちらの依頼やお願いを通す上でこういう感覚的な相手の容認と享受があるとこちらの声は相手の心に響きやすくなる。

全く関係のない人はいいとして、関係を持たなくては行けない人。職場で嫌いな人とかならなおさら。そういう働きかけと動きの労力は人生を円滑にすすめる上で投資した以上に人返って来てると感じる。

おすすめされたものは話を合わせる上辺の関係の為ではなく良質な関係性を築く上で投資する心がけを。あくまでできるだけの心がけで良いので。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?