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ビール呑みながらニュース

しまむら「テレビCMをゼロへ」ネット広告との“信頼感の逆転現象”

確かなものといかがわしきもの
ネットとリアルが持つ信頼性へのイメージはむしろ逆転してきているのかもしれない
インターネットが生まれさまざまな情報が流れ始めるとネットは“いかがわしい”情報であふれかえるようになった

いかがわしいと感じることは既にロートルであって
嘘を嘘と見抜けない人は難しいと提言した
某掲示板創設者が言ったような時代がここにある

「ネットで拾った情報なんだけどね」
と話し始めるときは大抵話し手側も内容について話半分ということをほんのりと伝えたいときだ
いや「だった」というべき
ネットの世界にうごめいている魑魅魍魎の怪しい発信源はむしろ増えているものの一方でネットの方が信頼できる場合も多くなっている

生身の人間が発している匂いが残る文章は
世界屈指の広告代理店の考えた
無味乾燥なキャッチフレーズよりも
核心をついてくる

確かなものといかがわしきもの
ネットとリアルが持つ信頼性へのイメージは
逆転してきているのかもしれない

紙の雑誌を支えてきた広告出稿が激減したことで
ファッション&ライフスタイル系のメディアは壊滅的な打撃を受けるようになった
かつてならば誰もが憧れるメディア
あるいは権威あるメディアで記者やライター
フォトグラファーとして参加することそのものがハードルであって
メディアの制作に関わることがキャリアの一つになっていた
しかし世の中の中心は紙の雑誌をほとんど読まない人たちへと切り替わりつつある
彼らは幼少期からパソコンに触れていて
スマートフォンもタブレットも使うことが当たり前の世代
彼らにとってどんなにすてきだったメディアも
自分ごとではなくそこで取り上げられている情報も
どこか自分ごとだとは思えない

権威あるメディアを通じて生まれてくるものに
何らかの確かさがあるのだろうと思いつつも
そこには自分ごとではないがゆえの疎遠さも感じている

「いかがわしい」というと言い過ぎだろうが
スマートデバイスが当たり前の中で
ネットの情報に触れてきた世代にとっては
もっと身近な発信者のほうが共感するようになってきている
いわば信頼感の逆転現象のようなものが
ネット社会の成熟とともに進んでいくのではないだろうか
なぜならネットワーク化された社会の方が
信用の背景となる情報を数値化しやすい


先日J-CASTニュースが掲載した
「しまむら『脱テレビCM』でも業績好調 
デジタル広告へシフト
『低コストで売上効果も十分』」という
しまむらの決算にまつわる話題も興味深い
彼らが注目したのはテレビCMを抑制してデジタル広告を増やしたところ
全体の予算は削減したにもかかわらず
より大きな広告効果を得られたことが決算報告内にあったことだ
「テレビ・新聞などのオールドメディアはもうおしまい」なんて話になるが
実際にはテレビを通じた情報告知のパフォーマンスはいまだに高い

広く浅く情報を届けるための媒体として
他に代わるものはない
問題は伝えたい対象の母数が十分に大きくないと費用対効果が薄いこと
消費者の嗜好性や消費行動というほうがいいかもしれないが生活スタイルや好みの多様化が進んでいくほど効率が下がる

テレビCMの受け取り方も同じで
誰にでも分かりやすいCMを漫然と見ているだけでは自分ごとと捉えにくい一方
ネット広告は自分の行動を追跡されているような気持ち悪さや不適格な広告表示も指摘されてきた
現在もその傾向は少なからず見られるが広告を受け取る側の属性に合わせる技術が進歩してきたことで
デジタル広告の精度は上がってきている

黎明期のネット広告といえば
小さなバナーを記事の周囲に貼り付けるだけのもの
しかし今ではターゲティング広告の発展を指摘する
より効果的な閲覧者にカスタマイズされた広告へと進化してきているそれに加え
どのような人に情報を伝えることができたのか
単に表示しただけなのか情報へのアクセスを誘導できたのかなどさまざまな数字が得られるようになってきた
もちろん精度が低ければ効果は低い

テレビCMは幅広い層への情報伝達には優れるもののソーシャルネットワークとの相性が悪く
情報の二次伝播を期待しにくい
以前のように人気集中の“お化け番組”がない中で
テレビを中心に友人との間で
話題になることもなければ
テレビ番組を出発点にソーシャルネットワークで
バズるシナリオも描きにくい

そうした中で誰にどのような経路で情報が伝わり
そこから自社サイトなど目的のコンテンツへと誘導できたのかが可視化される
ネットに参加するコミュニティーが小さい頃は
回線を通して向こう側にいる人が朧げながらに見える気がしたが
一気にインターネットが普及すると
あたかもそこが匿名クラブのように感じらる
掲示板などを通じた口コミはもちろん
新聞や雑誌などの商用メディアから個人発信のブログまでない混ぜとなってWebで情報が発信される
そんなことが当たり前になり始めた当初は
情報の背景が見えにくかったこともあり
ネットで拾った情報にはいかがわしさを感じざるを得なかったという側面もある

しかし今やネットの方が“確かなもの”となる
ケースが増えてきた
ネットでの情報はその流れを可視化できるからだ
以前ならば大まかな指標でのみしか評価されなかったような価値も
数値化できるようになってくると
“みなし”での評価が不要になるばかりか
なぜ数値に比例させないのか? 
といういかがわしさを感じさせる

まぁあれだね
何を信じるのかというよりは
何を信じたいのかという
フィルターバブルの行く末
そこにとことん突き詰めると
打率はネットがべらぼうに高いと
そういうことなんだと思う


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