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テラスハウスに起こった予定不調和とシーヘヴン

リアリティーショーが現実世界に起こした悲劇
テラスハウスというコンテンツに
リアルとエンタメの区別のつけられない者たちが
集団となって殺人を犯した
直接手を下した者は皆無であるのと
特定の誰かを悪だと二元論的に決めつけられない
後味の悪さだけが残る


リアリティーショーは
すべてシーズン内にオチがつく
スポンサーや媒体都合があるので仕方がない
決まった時間枠でのコンテンツなので
延長もなければ中断もない
予定調和の世界
製作者という神の元造られた
パラレルワールドのはずであった


予定不調和を産み出した
虚構世界と現実世界のバウンダリーを超えたのは
もうひとつの虚構世界であるSNSであった


そもそもリアリティーショーの登場人物とは
有名であることによってのみ有名であるような
徹頭徹尾普通の人々でしかない
そこにキャラクターというエッセンスを設定し
あたかもドキュメンタリーであるかのように
振る舞う
コンテンツ消費者は他人の生活を覗き見するという
下世話な好奇心を「番組」という枠組の中で
下衆行為を免罪されたと錯覚し膨らませている
勿論すべて予定調和の範囲内なので
基本は安全圏なのだ


一定の距離感から覗き見をし
ああだこうだとお節介と能書きを垂れる
「1984」のビッグブラザーのつもりなのか
監視社会を恐れつつも監視する側には喜々として
まわっていく一種のドロドロとした人間らしさ
が垣間見えてくる
またこれはジム・キャリーが主演していた
「トゥルーマンショー」のシーヘヴンに考察される


映画の概要は
テレビ番組が精巧に作り上げた虚構世界に暮らす男トゥルーマン・バーバンク


トゥルーマンが住む「シーヘブン」は
全てがセットで作られている
彼のありのままの生活を全世界に
中継するためにカメラがあらゆる場所に設置され
そこでの人々や自然や気候も全てセットであり
プロデューサーの意のままに動く
シーヘブンは全て番組の思惑通りの
秩序しかない予定調和的な世界だ


トゥルーマンは虚構世界に住んでいることに
気が付いていない
すべて現実世界と思っている
しかしあることから全ては虚構だと気が付き
セットの世界、虚構世界から逃げ出すという話だ


完全に人の生活を監視する行為に依存している
たった一人の男を犠牲に
全ての人々が快楽を享受する
ベンサムの最大多数の最大幸福的な功利主義だ
敷いては全体主義的または管理社会的な世界だ
トゥルーマンには選択の自由があり
知る権利もある
しかし快楽を知った者たちはそれを認めない


リアルとフェイクの境界線を超えてしまう恐ろしさ
求める真実とは事実ではなく
自分に都合の良い心地よい事柄でしかない
ポスト真実に侵されつつあるのではないか
最早Twitterは事実ではなく感情で蠢く
仮想世界での人々の利己的な
感情の総体であるそのモノは
ビッグブラザーでありリヴァイアサンであり
そのエコーチェンバーが
リアル世界に影響をもたらす


最近ではマスコミやネット情報に感化された
自称自粛ポリスという者たちが
クルセイダーの如く他者を
粛清し血祭りにあげている
さらにその反対意見者も徒党を組んで反抗している
かつてのカトリックと
プロテスタントの攻防のようだ


歴史は繰り返すというが
なぜ私達は過去に習わないのか
自粛ストレスによって前頭葉が機能しなくなり
爬虫類の脳で脊髄反射しているだけなのか


そう嘆いてみても
同様の嘆きは過去脈々と偉人たちや評論家たちが
論じてきた事であり
打ち手はもう残されていないのかもしれない
コロナ騒動で一気に露呈しただけで
元々水面下でドロドロと長年渦巻いていた
ヘドロだとするならば
浄化機能をこしらえるより
そっと距離を置くことに専念したほうが良い


世間という得体のしれないものは
普通という正体不明の被り物を着て
また新しい大喜利のネタを探し回っている
そうして耳元で囁くんだ
「みんなこう言っているぞ」
「普通許せないだろう」
「お前はどっちなんだ」
そんな言葉に耳を貸す必要はない


ひたすらホールデンのように
聾唖のフリをしていよう
そしてこれからの未来である子供たちが
そのヘドロに落ちてまみれないよう
境界線でキャッチするんだ


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