継続とは
noteの連続投稿日数が430くらいになった
もう下1桁は気にしていないし
なんなら100の桁くらいしか見てない
投稿後のポップアップを見ても1ミリも感情が動かない
この継続というものに幾ばくかのしらけが出てきている
継続は力なりとは言ったものだけれども
たしかに「継続すること」自体は持続力や意思の強さが重要だし
忍耐力が鍛えられるとは思うのね
だけどもよく勘違いしがちなのは
「諦めずに続けていればいつか芽が出る」みたいな論調
可能性の話で言えば0%は言い切ることが難しいんだけどそれは置いておいて
明らかに長期の努力をしているのに報われないって言うときって
何かが間違えている可能性が高かったりする
それは「努力の量が足りない」のか「努力の質が足りないのか」
はたまた「努力の仕方が間違っているのか」
例えばなにかの資格を取ろうとしたときに
仮に簿記の資格を取ろうとした場合
「毎日1分勉強します」みたいな継続だったら明らかに量が足りない
継続はしているのだけれども達成に何年もかかってしまう
また「小学1年の算数の教科書を繰り返し勉強してます」だと
量が足りていても質が足りていない
「毎日デッサンを書いています」だとそもそも簿記と全く関係なく
ただ絵がうまくなるだけ
極端な例なんだけど世の中には効率の悪い、最悪無駄な努力がたくさんある
この例でいけば目的は「簿記の資格を取る」というものなので
簿記の参考書で毎日数時間勉強をすることが最低限必要
これもあくまで「努力」という手法を使っての達成目論見なので
「試験官に賄賂を送る」や「カンニングする」
という決してオススメはできないけれども
努力を使わずに目的達成に到達できる方法も考えることができる
大事なのは「目的」が何なのか?
ただ「継続力と忍耐力を養う」ことが目的であれば
小学1年の算数の教科書を毎日数時間勉強するのもありといえばあり
だから目的の見定めを誤ると不毛な作業になってしまう
偏に継続すること自体を自己承認欲求に乗せて主張する人がいるけど
結局のところ目的が「継続すること」以外読み取れないし
書いてあることが少ない
目的が忍耐力と持続力を高めたいのであれば
毎日穴を掘って埋める作業をしてもいいわけだし
特段すごいことでもないような気がする
究極を言ってしまえばほとんどの人が「生きることを継続」しているし
「仕事をすることを継続」している
相当な継続をし続けている人がたくさんいる中ではとてもとても小さな話だ
人生で辛いことや悲しいこと理不尽なことに耐えて
何千日以上も生きることを継続し続けているほうが大きい
辛辣な話をつらつらと書いたけど
じゃぁお前は何なんだという問いには
電子書籍を出すことが目的です
作家になりたいとか職業にしたいとかではなく
自分で書いた本がKindleに並んでいると気持ちいいから
僕という人間を説明するときその本を読んでもらえばてっとり早いから
ただそれだけです
その目的を達成するのに集中して執筆する時間を取るのがめんどくさいし
お酒のみたいし、旅行行きたいし、子供と公園行きたいので
毎日に分割しているのです
執筆の365回払いです
厳密には半年で1冊になるから180回払いですかね
まぁともあれ継続日数は僕にとって出版アラートみたいなものです
とか言って投稿が途絶えたら
本を出すのに飽きたんだなと思ってください
了
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