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ナラティブをもう一度

紫煙を燻らせながら過去を思い返すと
ふと当時にタイムスリップするんだ

風景や声、そして出来事、さまざまな想い
ゆっくりと時間をかければ、それなりに思い出せる
過去の記憶に浸るうちに
その時の自分と一体化したような感覚になって
懐かしいなと思う気持ちの右隅あたりに
消えてしまっていたはずの感情が芽吹き始める

まるで忌野清志郎もびっくりの
デイドリームビリーバー

遡れる過去があるということは
生きてきた証拠

ただひとつ不思議な点が
過去の映像が上から見た鳥瞰的な第三者視点
この自分を上から観察しているのは誰だ
見たこともない映像を懐かしいと思わせているものは何
これは”本当に”経験した記憶なのかな

人は都合よく記憶を改ざんすると言われている
これは事実の過去なのか
見たかった過去なのか
でも過去の正しさなんか誰も知らないし、知らなくていい

既に起こったことは変えられないことはない
過去は変えられる
覆水は盆に戻すことができるんだ
物語で変えられるから

そう
すべては物語なんだ

過去というものは当然
その当時の感情が構築するドミナント・ストーリー
いわゆる「思い込みの物語」で囲われている
これは感情が記憶に強烈に結びつく要素だから
強く強く「こうだった」と刻まれる

何年も月日が経って
感情も感性も変わっていっていくと
過去に対して同じような感覚ではいられなくなる
過去にアクセスする距離と進入角度が変わってしまう

だから「ナラティブ」
ここであえて、再び物語の語り直しが必要なんだ
並列された記憶たちを組み直し再構築して
もう一度過去を語りなおす

ナラティブによって
過去はオルタナティブ・ストーリー
いわゆる「別の物語」へ進化する

ここではじめて過去は生まれ変わる

毎年思い出す光景がある
ただそれは毎回違うフィルターで見えていて
違う顔をした過去だった

思い返す過去が沢山あればあるほど
新しい過去も生まれてくる
どんどん人生が豊かになっていく

こういうときは
やっぱり生きていて良かったなって
思うわけなのです


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