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ソリストではなくてコールドが好きだったって話

4歳の頃からバレエをやっている。
小中の時は青春を全てバレエに注ぐほど真剣で、ずっとバレリーナになりたかった。

でも、簡単になれるものではなかった。

思春期には嫌でも太ってしまう。自分の体が嫌いになった。

「踊りには性格が出る」と言われ続け、考えていること全てが先生に見透かされているようで怖かった。
性格悪いと踊りに出てしまうという恐怖をずっと感じていた。
しかしずっと脳内お花畑でいることはできない。なんであの子の方がいい役なの、とかなんであの子は叱られないの、とかどうしても嫉妬してしまう。
だからレッスン中に周りの友達を妬んでしまう自分がいても、少しでも妬む気持ちが生まれると、その度に感情を殺すことに必死になっていた。

私はそんな辛さから知らないうちに逃げてしまっていた。

親が勉強しないとバレエはやらせないと言っていたので、なんとかバレエを続けるために勉強だけはやっていたが、受験勉強を理由にだんだんバレエから離れてしまったのだ。

バレエは今でも続けている。
本当に踊るのも見るのも大好きだ。

今日ふとバレエっていいな〜ってお風呂で考えていたら、少し面白いことに気づいた。

私が小さい頃思い描いていた自分のバレリーナになっている姿って、いつもコールドダンサーだったな。と。

バレエにはソリストとコールドダンサーがいて、
例えば「白鳥の湖」だと、黒鳥とか王子様とかはソリスト、2幕の初めに出てくるたーーくさんいる白鳥たちはコールド。

ソリストの人は、回転とかジャンプとか、派手で技術を必要とする踊りで観客を魅了する。それに対してコールドダンサーの見せ場は、圧倒的な一体感。個性というよりは、無駄のない全体の動きで、集団としての美しさを魅せる。

ちなみにコールドダンサーの稽古は非常に厳しい。手足の角度、高さを皆で揃え、どんなに激しい動きをしても絶対に列を乱してはいけないし、誰一人音楽に遅れてはいけない。私の稽古場では、「目ついてんのかーー!!!」という声がよく鳴り響いていた。

稽古を重ねているうちに、文字通り息が揃ってくる
皆同じタイミングで呼吸をしているのだ。そこで感じられる一体感が本当に大好きだ。

そして何よりその一体感で、ソリストを支えている気持ちになれることが本当に幸せだった。

眠れる森の美女の第3幕のオーロラ姫を迎える場面で、一斉にコールド全員がオーロラ姫の方を向くシーンがある。(振付師によるとは思うが)
特にそのようなシーンだと、コールドが息を揃えて満面の笑みで振り向く瞬間、ソリストのオーロラ姫も「みんなでこの舞台を作っているのだ」と、安心することができると思う。コールドの私も、「あなたは今舞台で一番綺麗ですよ。」とエールを送るような眼差しで迎える。

そのような言葉を交わさない舞台上でのやりとりが大好きで、特にその一体感を感じられるコールドは本当にやりがいのあるものだった。

前くるみ割り人形を見に行った時、席があまりよくなく5階くらいのかなり上からの席だったけど、そこからの景色があまりにも良かったのを覚えている。呼吸が合った踊りを上から見ると、スカートの動きも同じになるのだ。表情もあまり見えないくらい高い席なのに、こんなところからも感動できるんだって。


もうバレリーナになることはできないけど、社会にでたときそうやって主役級の人を満面の笑みで支えることができますように。そしてそのような人に、私の笑顔を見て安心してもらえますように。

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