だれもそう、じゃなくてよかったらしい
みんなつらいんだよ
つらいのはみんないっしょだよ
もっとつらいだとかたいへんな境遇のひとだっているんだよ
わたしがなんだかでもうつらい、とかもうやめたいとかこぼすと
オカーチャンはそんな調子だったので、昔のこと覚えてないけど、もっと過去に言われたこともそんなにそこから大きくはずれてもいなかったんじゃないかなあ。きっと。たぶん。
とにかく、それを間にうけていきてた
…
ということに無自覚だった!
あたりまえすぎた。
指摘されて そうだったか! ってなった。
そんなに真にうけなくてもよかったらしい。
いやそれをあなたの性質にいうのは禁じ手みたいなもんですよ、みたいな相性がよろしくない価値観だったらしい。
真に受けてるとか受けてないとか存在すら気づかない、一体化してたんかレベルのわたしはどうだったかというと、
もっとがんばってる、つらいひともいるのに
わたしはそこまでできない、だめなやつ
ほんとはもっとやらないといけないんだろうけど…
できないやつだと見捨てられてしまうのではないか。だめなやつ、って相手にされない。愛想つかされる。
怖い。こまる。そうなったらわたしはなにもできない。
不安、恐怖、焦燥感でいっぱいになるか、むりといったら呆れられる(でもむり)が、いらだち、怒り、攻撃性に転化される、のどちらか。
ものおもうわたしが起きてほしくないこと、なんでこんなミスとか失敗してしまうんだろう。
バクハツして終わらせる。ばーん!
やってしまった。なんでわたしはこうなんだろう。
なんでわたしはうまくやれない?
おちこむ。
っていうパターン。
ひとのつらさはそのひとのつらさ、
じぶんがつらければ、だれだれとくらべれば大変じゃないとかやらなくていい
じぶんがつらければ、つらいでよいらしい
…
そうなのか!
となってたのが半年ちょいくらい前のはなしでした。
これは裏返せば だれだれはジブンとくらべりゃラクしてるっしょ みたいな価値観だもんね。
あったあった。ありました。
こんくらいの期間はそんな経験しとくか!みたいな
そういう設定も仕込んできたようだ。です。
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