あれ、「かわいそう」はやめてくれ
実家で飼っていたコーギーは、dmという病気だった。
ざっくりいうと、遺伝子の問題で、下半身が動かなくなり、上半身が動かなくなり、最後には、呼吸がとまってしまう病気。
最近は、コーギーのブリーダー販売サイトをみると、dm検査済み!なんて言葉が並んでいる。
ともかく、10歳をこえたころ、うちの犬に潜んでいたdmが姿を現した。
そして、順序通り、下半身が動かなくなった。車椅子になった。
そうすると、散歩中、話しかけてくる人が増えた。
全然、知らない人が話しかけてくる。
いつも散歩の通り道にあったスーパーの全く関わりのない警備員の方が、このクリームは股ずれや床擦れにいいから、とプレゼントしてくれたこともあった。
世界は、なんて優しい人で溢れてるんだろと思った。
けど、
「可哀想」はやめてくれないか。と思っていた。
(スーパーの警備員の方には言われてはいません。ほんと、いい人だった)
知らない人が急に話しかけてきて、車椅子の犬をみて言う。
「かわいそうねえ」
うちの犬は、たくさん楽しい思い出のある犬なのだ。
家族で一緒に軽井沢に行って、犬も入れる焼肉屋にいって、私が、犬のために肉を洗ってこようと肉を動かした瞬間、肉が消えた。うちの犬は光の速さで、その肉を食べてしまったのだ。家族みんなで大笑い。他にもいろんなところに一緒に旅行に行った。その時の犬の喜んだ顔。前のめりに、ぐいぐいと引っ張るリード。
家でだって、毎日毎日ハグされて、ちゅっちゅとキスされて、病気になったって、ずっとずっと家族のアイドルだった。
車椅子になっても、散歩は大好きなまんまで、嬉しそうに重い車椅子を引っ張って走ってく。
後ろ足が動かなくなったら、前足で動いて、上半身がムキムキになっていた強い犬だ。前足も動かなくなったら、首で動いてた。
後ろ足がだめなら、前足で動けばいいだけじゃない、ここがダメなら、こうしたらいいだけじゃないと、犬からたくさんのことを学んだ。
うちの犬は、かわいそうじゃない。
そりゃ、うちの犬の気持ちは、うちの犬だけのものだから。
かわいそうじゃないというのだって、わたしの思い込みかもしれないけど。
かわいそうって言われるだけで、彼のすべてに悲劇を塗りたくられたみたいで、嫌になる。
かわいそうって言葉は、そんな意図がなかったとしても、とてつもなく上から目線で、冷たく感じる。
部分を切り取って、決めつけないで。
だから、とりあえず、かわいそうは、やめてくれ。