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2022年5月 千葉組HP 法話「ハイ」の返事も阿弥陀様から

千葉組 法話
「ハイ」の返事も阿弥陀様から 

 広島のお寺で学習支援のボランティアをしていた時のことです。お寺で勉強しに来てくれる子どもさんと道中でバッタリお会いし、私に気が付いたのか、躊躇なく「こんにちは」と大きな声をかけてきてくれました。当時私はボランティアを始めたばかりだったので、子どもさんが声をかけてきてくれると思わず、ビックリして、ワンテンポ遅れて「こんにちは」とあいさつを返しました。

 この時、子どもさんが私を見かけてすぐに挨拶してきてくれたことをとても嬉しく感じました。しかし、同時に「躊躇せずに私が先に挨拶が出来たら良かったのにな」と、歯がゆい気持ちになりました。

 この素直に挨拶をしてきてくれる姿を通して、これは阿弥陀様のみ教えをお聞かせいただく姿勢と似通っているのではないかと思いました。
 浄土真宗ではお念仏のおみのりを味わわれた方を、妙好人と呼びます。その妙好人に、因幡(いなば)の源佐(げんざ)さんという方がいらっしゃいます。源佐さんに「親様(=阿弥陀様)にハイと返事させてもらや、事は済んどるだがや」という言葉があります。

 「阿弥陀様に「はい」とお念仏となえさせていただければ、私のすべき用事はない」これが源左さんのお言葉のこころです。私は仏法につつまれた日常生活の中でも、相手に「ハイ」と返事を言えば済むことであっても、色々勘ぐってしまったり、素直になれなかったりして、「ハイ」という返事をすることがなかなか出来ません。なぜなら私のフィルターで物事を判断してしまっているからです。これをはからい(自力)といいます。

 しかし、阿弥陀様はそんな私に対して絶えず「お念仏しておくれ、お前をすくう手立ては南無阿弥陀仏の六字の名号の中に摂めたぞ」と願って下さっています。そんな阿弥陀様に対して「ハイ」、つまり「南無阿弥陀仏」とお念仏申させていただくということは、阿弥陀様の私をつつむお慈悲のおこころが、ただ今私に南無阿弥陀仏の六字となって届けてくださっているといるのです。 阿弥陀様のおこころが私に届いているからこそ、いまこの私から「南無阿弥陀仏」のお念仏がこぼれ出ている。これがおまかせ(他力)の姿です。

 阿弥陀様がお念仏となって私に寄り添ってくださっているなかで、「日々素直でない自分であるな」と南無阿弥陀仏のお念仏を通じて自らを振り返らせていただき、また「そんな私を見捨てない阿弥陀様がいらっしゃるのだな」と安心して生活を送ることが出来るのではないでしょうか。

 「ハイの返事も阿弥陀様が仕上げてくださったものだ」。そう思うと、「阿弥陀様、そうでしたか」といまお念仏のおみのりをお聞かせ頂くことが出来ていることに対して、日々頭が下がる思いであります。


浄土真宗本願寺派千葉組HPに寄稿させて頂いたものを本寺のnoteにも掲載しました。
https://chibaso.info/?p=8880 (千葉組HP)

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