noteやInstagramを始めた理由
本日、正式にnote、Instagramを開始した旨をギター講座オンラインBlogに掲載しました。
今までどおり、ギター講座オンラインで真面目な音楽情報だけを掲載していくという選択肢も当然あったと思います。
しかしそうはしませんでした。
一部の読者様から「どういう人間が運営しているのか分からない」といった声を受けた、という側面もあります。ですがより大きな動機があります。
失われた僕の10年
この10年、決して順調に音楽活動をやってこれたとは思いません。日中はIT系技術者としてサラリーマンをやってのけ、夜は音楽情報を収集し、休日に作曲をする。時には生きていくための仕事が忙しすぎて全く音楽に触れる機会がなかったり、また、過酷な仕事で心身を病み、倒れたこともありました。(暗い話が続きます。ごめんなさい..)
そんな私とは対照的に、学生時代の友人達のSNSを覗くとウェーイなパーチーを開いて謳歌していたり、結婚式をしたり参加したり、皆さん楽しそうに生活をしていました。
自分にはそんな余裕はない。仕事の疲れを引きずり、元々体も頑丈ではなく、神経過敏な僕は疲れやすい体質でした。なおさらそういったウェーイな友人達が遠い存在のように感じられました。
それでも心のどこかで「また作曲をするんだ」「今は辛いかもしれないけど時間ができたらまたCD作る!」と希望を捨てずに居られました。
思い出らしい思い出がないという問題
そして10年経ち、生きていくための仕事がある程度落ち着き始め、一度壊した心身も全快し、更に所帯を持つ目処が経ったりと「やっと一息」つける時期にさしかかりました。
そこでずっと燻っていた作曲への情熱をぶつけようと、最近になってまた作曲活動を再開しました。
ただ、大きな問題に直面しました。失われた10年を過ごしたが故に「思い出」が全くないのです。
人間の脳は、辛い記憶が薄れるようにできているそうです。ぽっかりと大きく空いた穴だけがただそこにあるような感覚しか残されていません。
僕は作曲をする際、自分の記憶や衝動を燃料にしてモノづくりをするタイプだと自己分析しています。実際に、10年分の思い出がないがために、現在の作曲活動に支障をきたしています。
もっと記憶に残ることができていたら・・・そう思わざるを得ません。ある意味で、僕は「思い出を残すこと」をサボり続けたのかもしれません。
思い出を残していく
今さら無くした時間を取り戻そうなどとは思いません。
ただ、これからの時間をただ「なんとなく」過ごすのだけは止めようと思います。思い出や記憶を残しておこう。それがnoteやInstagramを始めた動機です。
また、音楽活動をしていらっしゃる方が僕のnoteをみて「他の音楽家って、普段こんなことやって、こんなこと考えててそれを音楽に込めてんだなー」という参考にしていただけたらいいなーなんて欲張りなことも考えてます。
更に更に、このnoteを皮切りにギター講座オンライン本編に興味を持っていただいたり、僕が作った曲を聴いてやろうと思っていただけたら。。もう涙を流して喜びます。
ただ、しばらくは欲張らず、マイペースに続けられたらなと思います。