要約 フィヒテ『全知識学の基礎』

〇カントは自律という積極的自由を規定し、フィヒテはそれを本質への自由という存在概念として再規定した。
〇第一命題「自我は端的に自己自身を定立する」が事行を規定している。
〇第二命題「自我には非我が定立される」において、「見られる自我」という対象化の運動が理解される。
〇第三命題「自我は、自我において可分的に可分的非我を定立する」において、対象化における非我と自我の対立矛盾が部分的なものであることが理解される。
〇非我を「見られる自我」として理解していく事行の働きが世界の歴史であり、自己本質の純化という意味で自由の実現である。

 カントは自律という「本質への自由」を提起した。フィヒテは自由を人間の存在概念―本質として規定しなおした。人間は自己意識において存在する。つまり、自己が意識されることはそのまま自己の存在を示しており、この「事行」という動態のみが知識学、根本学の基礎たり得る。なぜなら、同一律を含めてほかの原理はすべて「存在」を仮定するしかないが、自己意識のみはその認識が存在を与えるという知的直観であり、つまり自己自身を基礎づけうるからである。これが「自我は自らを定立する」という第一命題が立てられる。そして、対象化された自我はやはり「見られる自我」として非我である。「自我には非我が定立される」という第二命題はこれを指す。自己認識とは、自我を外化する普段の運動なのである。そして、非我と自我の対立を調停するのが第三命題「自我は、自我において、可分的に可分的非我を定立する」である。対象世界は単なる非我ではなく、自我が「部分的に」対象化されたものが非我なのである。よって対象の相対たる世界は「自我」と「非我」との対立である。事行の作用はこうした非我の抵抗によるパフォーマティブな環境世界においてその都度可能性を選び取りつつ、非我を「見られる自我」として純化していく。このたえざる努力こそが、事行としての人間の本質を遂行することであり自由の実現である。

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