要約 シュライアマハー『宗教論』

〇有限な個別者の中に無限の宇宙を各自が直観するところに宗教の本質がある。
〇人間も、内的自然と外的自然に挟まれた自然―宇宙の一員である。
〇宇宙の一員であるという自覚が自由の意識を生む
〇宇宙の直観は、それを他者と分かち合うことによって意義をもつ。ここに宗教の公共性・社会性が開かれる。
〇実在直観の心を他者間、異宗教間で承認しあうことで人類の調和が達成される。
〇『キリスト教信仰』において、これは「絶対依属の感情」として語りなおされる。絶対者に依存しつつ、それに包摂されている自己という意識において、神と人間との人格的関係が作られる。

 シュライアマハーは宗教を実践的理性に従属させるカントを、宗教の矮小化であると批判した。宗教の本質は「有限な個別者」の中に「無限の宇宙」を「各自が直観し味わう」ことによって成立する。この直観が宗教の核心である。
 宇宙は常に活動し、人間もまたその活動の一部として、外的自然と人間における内的自然の両輪において宇宙の発露である。この自然を発展させつつ、宇宙の一員として自覚するほどに人間は自由な存在となる。また、宇宙を直観する心は「他者と分かち合う」ことによって意義をもつ。ここに宇宙ないし宗教の社会性―公共性が開かれる。実在直観の心を他者と、異宗教と相互承認することで、人類の調和は達成されうる。
 宇宙直観の体験は、『キリスト教信仰』においてそのロマン主義的要素が排され、真実在への「絶対依属の感情」として洗練される。絶対者に包摂され、また依存しているという感情において、神と人間との人格的関係が成立しうる。
 デカルトからカント移行へとつながる理性主義的な宗教観にメスを入れ、いまいちど絶対者と人間との人格的関係を回復しようとする意図は、当時にあって改革的な意義をもった。宗教現象学のはしりともいえるだろう。

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