要約 ジェームズ『宗教的経験の諸相』

〇「健全な心」と「病める魂」
〇病める魂の方が悪の現実に触れる点で包括的である。
〇回心体験とは実在体験における自己統合のプロセスである。
〇回心は識閾下の潜在意識へと連続的につながる意識の場でなされる。
〇宗教体験と病的体験の区別は改善論に基づく行為と心情という実際的効果の有無で判別可能である(プラグマティズム)。

 個人の生の経験における心理の動きの記述を出発点とする心理学的宗教学の書。宗教とは、「神的」といえるような強度における「実在」に触れる「人生に対する全体的反応」だと規定される。
 宗教のタイプに応じて個人的気質も区分される。まず、「健全な心」の持ち主は、現実世界を楽観的に肯定する自然主義的態度をとる。「病める魂」という気質をもつ人は、現在の幸福に矛盾を感じ、相対的世界を脱した絶対的価値、幸福を求めずにはおれない。「病める魂」は、悪の認知によって現実への否定観を強めつつも、なお生きようとする自分にも気づくため、こうした両義的性格が、超越世界への志向を生む。ジェームズは、「病める魂」が「悪の現実」を通して「深い真理」へ到達しうる点で、「健全な心」よりも包括的であるととく。
 この真理の体現としての「回心」という心理現象が注目される。回心とは分裂した自己の統合である。現実世界の悪にまみれて自分を劣等だと思っていた人間が、実在者―神的な者との邂逅を経て、現実世界と自己を調和的に肯定する幸福を得る過程が回心である。
 回心プロセスは「意識の場」「潜在意識」という精神分析に近しい概念によって説明される。意識とは実体ではなく、その都度の注意によって開かれる中心と周縁の連続的場であり、識閾下の潜在意識と意識的な領域とは画定線を引けない連続性をもつ。神的と言われる「より以上のものthe more」は、こうした意識の場で生起するのである。
 宗教的体験は、異常な心的状態を起こしうるため、病的状態との区別が困難である。ここで、宗教的体験は実在性の強度に触れて、世界がより良くなっていくことを確信しつつ行為ができている(改善論)かどうかで判断される。つまり、実際的効果に基づく判断という意味でジェームズのプラグマティズムが発揮されているといえよう。

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