回心
〇ジェームズの回心論→無意識と意識の連続性
〇オットーのヌミノーゼ
〇スターバックの逆回心
〇個人の性格によって漸近的/劇的の区別はあれど、「高い力」に包まれる飛躍の瞬間は同じである。
まずジェームズ『宗教的経験の諸相』における規定。回心とは、自らが劣等であり悪なる世界において不幸であると感じていた人間が、真なる実在に触れ、「より高きもの」に包摂されていることを自覚することで、世界を肯定的にかんじることができるようになる体験である。そこでは不幸な意識の中で分裂していた自己が一つに統合されている。また、この自己統合の心的動きは、意識の場で発生するが、意識の場とは明瞭な意識と潜在的意識との境界線がグラデーションでつながっているような連続的場である。
オットーならば、これをヌミノーゼの「魅する秘儀」に分類するだろう。回心の感情は、聖なるものとの出会いという点で、通常の喜びや悲しみとは質を異とする。
ただし、回心が必ずしも宗教的であるとは限らないし、またスターバックのいう「逆回心」すなわち聖なるものに捉えられていた心が不信仰へと向かうこともあり得る。
各人のタイプによって回心の起こりやすさは異なり、漸近的に神的存在へ向かう者、突発的・劇的に回心が為される者など人それぞれである。ただし、神聖かつ圧倒的な力に支配されているという経験、「自己から」という能動性を消失させる形で真なる実在が人間に降りかかってくるという経験はやはり回心に共通であろう。
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