創世神話
ほとんどの宗教が、この現実世界がどのようにして、またいかなる理由で存在するのか、その起源についての神話をもつ。これは大きく進化型と創造型に分かれる。進化型は世界を生命的進化モデルで捉えるため、汎生命的な世界観と相関がある。創造型の代表は旧約の「創世記」であろう。進化型との対比で言えば、創造をなした超越者との対比で世界が見られるため、強い現世否定の思想が出てくる。
ヘブライ的創造は「言葉による創造」「無からの創造」という二つの要素をもつ。前者は人間的な文化・歴史・生活などあらゆる側面を象徴し、後者はそうした人間生活に「創造性・革新性」をもたらすという意味をもつ。創造を哲学的「制作」概念と対比すると、旧約の世界観がより鮮明となるだろう。
まず、神の創造が無からの創造であるのに対し、制作は素材の存在を前提とする要素主義的傾向をもつ。また、創造は神の無限の力の充溢と持続であるのに対し、制作はプラトンのデミウルゴスのように、制作物とともに制作者自身も生成消滅のさなかにあるものである。第三に、創造が終末と共に、世界時間に分節と意味をもたらすのに対し、制作はその要素主義とともに世界の均質的時間、生々流転、永遠回帰を前提とする。第四に、創造はベルクソンのエランビタールのような神秘的存在の革新性を許すが、制作はその時間の均質性のゆえ、現状への安住、流転へのストア派的諦観などが大勢を占め、現状の意味空間を破る力をもたない。第五に、創造によって意味を付された世界に生きる者は共同体において人格的に存在するが、デカルト的神、つまり、創造のみを行いあとは自然法則による自動運行を企図した製作モデルの神における世界では、主体は高度な技術で宇宙の支配的地位を確保したが、そこで現象するのは大量生産(製作)の自己目的化としてのフェティシズムという不毛な機械的世界である。
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