元日だからと無理する必要はない

数日前に友人と鶴橋のコリアンタウンに出掛けた。

朝鮮文化は日本の文化システムの中に見事に組み込まれている。自宅から電車で少し移動した場所に、当たり前のように百済以来の文化が存在している。「猪飼野」の名前そのものにも異文化の影響がある。

鶴橋でサムギョプサルとマッコリをいただいた。味は絶品であったが、おそらくマッコリが体質に合わず、帰宅後に寝込んでしまった。ここに異文化をとりこむ拒絶反応の典型がある。異文化に触れるのは簡単だが、それが当然のように身体や精神に根付くまでには超えるべきものが少なくない。

文化は要素であり、システムである。鶴橋に根付く韓国・朝鮮の文化システムの一方で、マッコリに身体のシステムを侵食された僕がいる。

元日は「御節」「初詣」「賀状」といった文化要素に溢れている。現代の生活において縁遠くなった神事や家族行事を模倣するかのように、イベントとなり商品として正月の「アイテム」が立ち並ぶ。無理することはなく、家族と普段通りの生活を送り、「家族とゆっくり時を過ごす」という文化システムを重視していく。ただ、部屋から初日を眺める程度の「日常的な非日常」は味わってみる。

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