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娘が生まれたので、「コミュニティ」について考えてみた
今からほど半年前に一軒家に引っ越し、その1ヶ月半後に娘が生まれた。
マンションから一軒家への転居、さらに娘のあまりの可愛さに「家にいたい」と思うことが日に日に増えている。
その結果、今までよりますます家族を優先することとなり、これまで自分が一員として所属していた「コミュニティ」が、ちょっと邪魔に感じてしまうことも出てくるようになった。
というわけでこの機会に、
「私にとって『理想のコミュニティ』とは何なのか?」
を考えたいと思い、この記事を書くに至った次第である。
まず、私がこの記事で語る「コミュニティ」の定義を以下に示す。
コミュニティとは、英語の「community」から生まれた、いわば和製英語です。基本的には元の英語と同じく「共通の目的や興味を持つ人々の集まり」つまり「共同体」を意味します。
もともとは、地元や地域に基づく人々の集まりを指していましたが、今では地域という限られた条件に囚われることなく、様々な場面で使われています。ただし、その本質は「メンバーの帰属意識、メンバー間の関わり方」にあることに変わりはありません。
詳しくはこちらのホームページをご覧いただければ。
小さな娘がいると、どうしても家にいる時間が増える。
それは「自宅にいなければいけない」というより、「娘と過ごす時間を出来るだけ増やしたい」という方がより私の正直な気持ちに近い。
その結果発生したのが、「家族と過ごさない時間」がほぼなくなり、家族以外と関わる機会は仕事を除けばほぼゼロという状況。
件の通り、これは義務ではなく、私の望みである。
今まで定期的に会うことになっていたサークルの面々には、「娘が生まれたのでしばらく行けません」と伝えてある。正確には「行けません」ではなく「行きません」なのだが。
数名からは「出産して妻が変貌した」とか、「尻に敷かれている」などのお言葉を頂戴したが、件の通り、これは義務ではなく、私の望みである。
そんなこともあり、
「コミットが減ると心配されて連絡が来る」ようなコミュニティには所属したくなくなってしまった。
「家族同然のように付き合うコミュニティ」は、「活動に参加『しなければならない』という義務感」がどうしても私の中に発生する。これは娘が生まれる前からそうだ。
これは、「家にいたい」という私の感情と真逆である。
このような団体は、「家族同然のように付き合う」が故に、自分が家族と引き離されてしまう危険性を孕む。
例えば、草野球サークルがあったとする。
「野球以外にもバーベキューや忘年会、旅行や合宿もあります!」というチームの場合、私は加入しない。
「野球以外のイベントに参加しない」という選択が「心配の対象」になり、もっと野球以外のイベントにも参加しようよ」という誘いが来るのが煩わしいのだ。
もっと言えば、「チームとして市民大会に出場する」というのも、私には正直きつい。
練習や試合に参加しないことを迷惑がられるのがバカらしい。
参加を義務として求めるようなコミュニティは、私には耐えられないのだ。
今私が所属している唯一のコミュニティは近所のバスケサークルである。
対外試合は一切なし、ラインのイベント出欠機能で参加するときに「参加する」と登録すればOK。特にバスケ以外のイベントはない。
特筆すべきは、特にそこで人間関係を作らなくても良いという点だ。
行くようになって一年ほど経つが、主催者のお兄さん以外の名前を未だにほとんど知らない。
主催者以外は、連絡先の交換も一切ない。
ただ、バスケがしたい人が集まりバスケをするだけ。
他の人たち同士は、名前を知っていたりサークルの外で会ったりするのだろうが、私は全くそういうことはない。
それが非常に心地よいのだ。
簡単に言えば、私はそのコミュニティに所属していながら「存在」はしていない。
だから、自分の本当の家族を優先できるし、参加できない際の「すみません」も不必要だ。
家族があるという自分の状況だと、
学生時代から「家族同然」のように仲良くしている親友と年に数回会う
もしくは
もはや「コミュニティに所属している」と言っていいのか分からないほどの、最小限の人間関係で済むような場所で、メンバーとの交流ではなく活動内容だけを純粋に楽しむ
この2つ以外は、正直生活の障壁にさえなり得るのではないだろうか。
私にとって「家族同然の付き合いはできるだけ多い方がいい」というのは、虚構だ。結びつける力は持たない。
と、ここまで書いて保存をして数日経った時に、「mixi2」の存在を知った。
同ソーシャルメディアは、半ば義務のようなコミュニケーションを必要としないような雰囲気だった。
各々が言いたいことを言い合い、反応したい者が反応する。無言でフォローすることも、特に問題ではなさそうである。
これぞ私が求めているコミュニティではなかろうか。
「行きたい時にだけ顔を出し、自分が求めている以上の交流は避けられる」
一見わがままのように見えるが、仕事が絡んでいないのならば、全く問題ない考え方ではなかろうか。