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俺の神社巡り_15 (奈良)大和神社、石上神宮


大和神社

『延喜式神名帳』には「大和坐大国魂神社 三座」と記載され、名神大社、二十二社(中七社) 。祭神は日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)、八千戈大神(やちほこのおおかみ)、御年大神(みとしのおおかみ)とされている。

↑ 御由緒
↑ 社号標

日本大国魂大神が祀られた経緯は、第10代崇神天皇の世において、国内情勢が不安定となったときに、アマテラス神と日本大国魂神の神霊が同じ場所に祀られているということで、神威を恐れたため、場所を別にして祀られることとなった。当社は日本大国魂大神が日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)として祀られた。

神武天皇の臣・椎根津彦(既出 俺の神社巡り10_早吸日女神社)の子孫、市磯長尾市(いちしのながおち)を祭主として、当社が創建された。これが天神(天津神)と地祇(「ちぎ」と読む、国津神)をわけて考えることとなったという。

鳥居の先は、静かな参道が続く。賑やかな世界とは隔絶された心地よい時間を過ごすことができる。

拝殿に到着、本殿がよく見えないように配置されている。

↑ 拝殿から本殿を臨む

1945年に坊ノ岬沖海戦で沈没した日本海軍の戦艦大和(大和国が艦名の由来)には、当社の祭神の御分霊が艦内神社として祀られており、境内に「戦艦大和記念塔」が建立されている。

また戦艦大和の展示室があり、室内には戦艦大和のミニチュアなどが保存されている。

境内には摂社として、高龗(たかおおかみ)神社、朝日神社、事代主(ことしろぬし)神社、厳島神社、祖霊社、増御子(ますみこ)神社が祀られている。

神宮とは

神宮とは 「神宮」(「大神宮」ではない)の社号を付されている神社は、天皇や皇室の祖先、神器などをお祀りするなど、皇室と特にゆかりの深い神社に限られていた(現在は、どのように名乗ってもいい)。 日本書記には、伊勢神宮、石上神宮、出雲大神宮(出雲大社のこと)の3社のみであり、延喜式神名帳には伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮の3社であった。明治期には神宮を名乗るためには勅許を必要としたが、戦後は特に制限がなく、自由に名乗ることができるようになった。ただし、神社本庁所属の神社において神宮と称するものは限られている。

石上神宮

石上神宮 名神大社、二十二社(中七社)、主祭神は布都御魂大神(布都御霊剣に宿る神霊)。

↑ 鳥居神額には「布都御魂大神」

記紀いずれも記載があり、非常に歴史がある神社。社伝によれば、布都御魂剣はタケミカヅチ(鹿島神宮 他)・フツヌシ(香取神宮 他)の二神による葦原中国(あしはらのなかつくに:神の国と黄泉の国の間、地上世界のこと)平定の際に使われた剣。神武東征において熊野において神武天皇が危機に陥った時に、高倉下(タカクラジ)が当剣を献上、その霊力により長髄彦(ナガスネヒコ)軍に勝利し、大和の征服が完了した。

↑ 楼門
↑ 神額には「萬古猶新(ばんこゆうしん)」、山縣有朋の自筆。
古いものであったとしても、大切なものは失われず、変わらない、という意味

当初は宮中にて祀られていたが、その後現在地に遷し、「石上大神」として祀られた。当社には本来、本殿は無かったが、禁足地を掘り返したところ、当剣が発見された。当剣を奉納する社を本殿とし、祀られることとなった。

↑ 国宝 拝殿
奥にある本殿が見えづらい
↑ 楼門手前の階段を上がると、本殿を少し拝める
↑ 国宝 摂社出雲建雄神社拝殿
↑ 摂社 出雲建雄神社(式内社)

御朱印

大和神社

石上神宮


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