俺の神社巡り_10 (大分県の式内社)火男火売神社、早吸日女神社と「関あじ・関さば丼」(道の駅 さがのせき)
式内社(延喜式神名帳に記載された神社)
今回は、火男火売神社と早吸日女神社。両社ともいかにも古くからある神さまらしいお名前。式内社の論社でもある。 式内社とは平安時代の延喜式神名帳に記載された神社のこと。延喜式神名帳のうち、当時の神社として記録されたものが西暦927年(平安時代、60代醍醐天皇)に成立している。国別に神社が記載され、官幣と国幣、大社と小社、座数などを明記されているのみで、ご祭神名や由緒などの記載(もちろん、住所も!)はない。社名や鎮座地の変更、合祀、荒廃により、現在では特定できないこともある。延喜式に記録された神社の後裔として論社・比定社とされることも多い。
火男火売(ほのおひめ)神社
鶴見岳は、阿蘇くじゅう国立公園の東の端にあり、大分県別府市にある活火山、山麓の東側に別府温泉がある。当社は867年に噴火した鶴見岳を治めた神社であり、噴火後にできた別府の地獄、温泉の守護神とされる。ご神体は鶴見岳。今回の参拝は火男火売神社(下宮)。イザナギ神とイザナミ神のほかに、温泉地らしく火之加具土(ヒノカグツチ)神を主祭神としている。大分県道11号線を左折、 別府市立朝日中学校を左に、駐車場がある一の鳥居に向かう。20台程度が駐車できる無料駐車場。真夏で朝10時頃のためか、とても空いていた。鳥居をくぐって神域へ。とたんに雰囲気が変わる。聞こえてくるのは中学校の運動部らしき掛け声と蝉時雨、とても清々しい。参道から直ぐに拝殿へ。参拝後、拝殿・本殿を一周。式内社らしいたたずまい。
道の駅 さがのせき
別府から佐賀関は向かう、国道197号、左側に道の駅発見、クロメのタコ焼き、関さば、関あじ丼が人気らしい。とても小規模の施設のため、駐車場が狭い。混雑時は駐車できないなどある模様。平日の午前中のためか、駐車場か空いていた。施設内のテイクアウト用食材も売ってなかった。売り切れなのか、平日だからなのか。関さば・関あじ丼を購入し、店内で食事。ひとり席が海側に配置され眺めはいいが、当然、眺めがいい席から埋まる。店内はガラス越しなので、景色は後で見れば良い。丼にはクロメの味噌汁が付いており、それが最も美味しかった。
早吸日女(はやすいひめ)神社
主祭神全てイザナギ神が黄泉の国からの禊の時に生まれた神々。また、当社の由来(後掲写真)より神武東征にも関係があるという。
社伝の一つによると、神武東征において、美々津を出港後、速吸門(はやすいのと、佐賀関あたり)で進むことができなくなる。神武天皇が海底を除くと、キラリと光るものがある。当地の海女の姉妹が漕ぎ寄せると、海底にイザナギが遺した神剣があった。神剣を守護していた大蛸が海女の姉妹に献上し、神武天皇に神剣を奉納、ほどなく海女の姉妹は絶命した。神武天皇は速吸日売神を当地に奉斎し、当社の元宮となった。イザナギの神剣は後世まで伝わったが、1600年佐賀関の戦い(関ケ原の戦いに呼応した、黒田如水と大友軍の「石垣原の戦い」の一つ)により損失した。なお、この戦いによって神剣だけでなく、建物や社伝等がすべて焼失したとされる。現在の建物はこれ以降のもの。 神武東征の折、道案内・船頭・参謀などで活躍した「椎根津彦(しいねつひこ)」は当地から合流したとされる。早吸日女神社の南数百メートルに椎根津彦神社がある。 神門の正面が摂社の伊邪那岐社となっており、右から回り込むと、早吸日女神社拝殿正面となる。本殿を囲む朱色の柵や拝殿の瓦には鬼・龍・・龍宮城・浦島太郎がいるらしいので、興味があれば現地でじっくり見てほしい。