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【私の疑問 学校編第3回】 みんなで一緒にやらなきゃダメ?

皆さんこんにちはguidaです。21歳の大学3年生です。

いつも読んでくださる方、初めて読んでくださっている方、ありがとうございます。


これまで、2回私が学校生活で感じてきた疑問について書いてきました。

今後は、多くの大学生が経験する(してきた)就職活動についても書いていこうと思っています。次回予告みたいになってしまいましたね。

こちらについては、あらかじめ第○回にはどういうテーマで書くのかお伝えするようにしたいと思います。


さて、今回もご多分に漏れず、学校生活のことについて書かせていただきます

テーマは、「みんなで一緒にやらなきゃダメ?」です


 気づいたらよくわからない目次を作っていました(笑)

運動会や合唱コンクール、学芸会etc.


学校で生活していると、見出しのようにみんなで一緒に何かをする(やらされているという感覚の人もいたのかな?)ことって何かとありますよね

余談ですが、当時の私はそこそこ楽しみながら、ソーラン節を踊ったり、合唱曲を歌ったり、演技をしたりしていたと記憶があります。
ちなみに、オズの魔法使いのかかし役とかエルコスの祈りのセールスマン役をやっていました。(今思えばなかなか重要な役目を演じていたんだな)
どんなお話なのかは、調べてみて下さい。


でも、ソーラン節もエルコスの祈りも思い返せば、ちょっと言葉はきついですけど、全員強制参加でした。不参加という選択肢は考慮されていないのです。これって本当にいいことなんでしょうか。

人は一人では生きていけないけれど(協力ということ)

 (すてきな友達という歌の歌詞みたいな見出し)

たしかに、「人はみんな誰でも一人では生きていけないから」(作詞 梶賀千鶴子)

会社でも自分1人でできるビジネスには限界があるし、多くの人の力が重なって今の日本、世界が出来上がりました。
協力しなければ成し遂げられないことってたくさんありますよね。

だからこそ、先生は、子供たちにみんなで協力して一つのものを作り上げる経験をさせるのかもしれません。
子どもたちがいつか大人になったときに、周りと協力できる人になるために

協力することがとても重要なのは、私も同感です。

でも、学校には様々な思いを持った人がいるはずです

率先して色々挑戦してみたい人、私みたいにやってみると面白いなぁとか考える人、演技とか運動に興味がない人

色んな人がいて、クラスとか学校が形成されているのにそれを度外視して「みんなで協力しよう」となってしまうのは、ちょっと冷静ではない感じがします。

協力することとさせることは違う気がする

私は、みんなで協力することが目標になってしまっているような気がしています。

運動会や合唱の感想作文の多くは「みんなと協力することの重要さを学ぶことができました」という内容ばかりでしたし、先生方もみんな協力して運動会を成功させて素晴らしい的なことを言っていました。
(作文に関しては、当時は自分もその1人でしたが)

私なりの解釈ですが、協力するって「あの人にはあって私にはない力、私にはあってあの人にはない力を重ね合わせて、目標に向かって頑張ること」ではないかと思います。

そして、どういう目標にするかは本人たちが決めることですし、私は協力したくないなと思えば、協力しないこともあるはずです。
しかも、協力することが目標なのではありません。

つまり、協力とは、能動的なことだと考えています。

しかし、運動会や学芸会に全員を強制参加させるというのは、子どもたちに受け身な協力をさせるということです。

運動会や学芸会で、本当に協力することを学ぶことができるのか疑問に思っています。


長々と書いてしまいました、読んでくださった方、ありがとうございました。
皆さんのnoteも読ませてもらっています、共感することも多いです

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